峯岸みなみだけで軽く1000万は超えてます

――いつからオタクを始めたんですか?

アイドルのオタクは松浦亜弥からです。それまではBOOWYが大好きで、東京ドームで行われた最後のライブ“LAST GIGS”のチケットも、高校生ながら徹夜で並んで学校サボって買いました。
当時はライブのチケットなんて電話か並びで買う時代だったんで、電話は回線がパンクしてたし、徹夜で並んで買っても2階の後ろの席でした。それでもめちゃくちゃ嬉しくて、学校で「チケット取れたよ!」って叫んでました。

それくらい音楽自体が元から好きで、その後CDショップでバイトもしてたくらいです。ただアイドルに関しては、テレビで見ても「歌上手いな」「可愛いな」くらいにしか思ってなくて。
それが2002年ごろに松浦亜弥が“赤坂BLITZ”でライブをするって知ったんです。僕はバンドのライブでよく“赤坂BLITZ”に行ってたので、とりあえず1回見てみるか、とライブに行ったのが、いちばん最初のアイドル現場ですね

――松浦亜弥からオタクとしてアイドル現場に通い始めたんですね。

オタクって最初に知り合った仲間に影響されると思うんですよ。僕も松浦亜弥きっかけで仲良くなった人たちが最前に行ったり、たくさんライブに通うような人たちだったんで、今の自分があるのはその影響があると思います。

そこからハロプロ繋がりでモーニング娘。のライブを見る機会があって、田中れいなからレス(目を合わせたり手を振られること)をたくさん貰ったもんだからコロッとモーニング娘。も通うようになりました。

ハワイや香港のライブも行きましたし、お金はめっちゃ使いましたね。当時、アイドルとの接触イベントというのは全くなかったから、どこでアピールするかってなったら最前しかないわけですよ。毎回最前行ってボードなんかでアピールするみたいな。
こうしてハロプロに通っていたのが30歳くらいのころですね。

――モーニング娘。の次はどこに?

次にAKB48ですね。峯岸みなみを推してました。

AKBに通い始めたきっかけは、以前働いていた某大手レンタルショップの仕事繋がりでライブに招待されたのが始まりですね。行ってみたら知り合いのオタクも会場にたくさんいて楽しくて。なのでハマるのは早かったです。

当時はまだチームAとチームKだけで、秋元才加と峯岸みなみどちらを推すか迷ってたんですよ。でも僕の中で運命のライブがあって。
チームAとチームK両方出るライブがあったんですけど、最前で見てたら峯岸みなみから、手を振られたり、目が合ったりとレスがたくさん来たんです。
で、そのライブ終わりは「お見送り」といって少しだけアイドルに会える機会があって、最後にオタク自身で見送ってくれるチームをどちらか選ばなければいけないんですが、そのときにチームAを選んだんですよ。
そこから峯岸みなみを本格的に推す人生が始まりましたね。

――本格的にというと峯岸みなみにはどれくらいの金額を使ってたんですか?

正確に計算してはいないですけど、軽く1000万円は超えてますね。

メインタイトル(仮)_1
峯岸みなみ『短所ネガティブ 長所ネガティブ』(主婦の友社)

――何にそんなにお金を使ってたんですか?

ライブはもちろんですけど、1番はCDですね。総選挙の投票用紙や握手会のチケットがあったんで。でもその頃はCDを大量に買うっていう文化があまりなかったんで、握手会のためといっても、毎シングル100枚200枚程度だったと思います。

――かちょすさんは大場美奈も推していたわけですが、そのきっかけは?


2010年ごろの全国握手会のころには、握手をする前にオタクの手を消毒する文化が始まってたんですけど、消毒隊みたいな感じで9期生の研究生が来てたんですよ。握手するメンバーの並びレーンで消毒する係みたいなことをしてて、話そうと思えば多少話せる環境で。そこで仲良くなったのがきっかけですね。

――消毒する係だった大場さんとはどんなことを話したか覚えてます?

あんまり覚えてないですけど、たくさんイベントに来る界隈だったんですぐに覚えてくれましたね。いつも大勢で来るし騒ぐし最前にいることが多いから、言い方悪いですけど「厄介軍団だー!」みたいな(笑)。でもからかいつつも、毎回話してくれてましたね。