打ち切りが決まるも、物語は盛り上がる

1979年春から放送が始まった『機動戦士ガンダム』は、クラスの片隅で小さくなっている俺たち以外は誰も見てなかった。そりゃそうだ。土曜日の夕方5時半、普通は部活だし、部活に入っていないやつもゲームセンターでインベーダーとかギャラクシアンとかやってたもん。仮にアニメに興味のある奴らは、松本零士先生のまつげと髪の毛が超人的に長い美女や、王道のロボットアニメに出てくる貴公子然とした敵キャラクターに夢中だった。

もはや『ガンダム』を流行らせてクラス内での待遇逆転を図る気にもならず、誰にも理解されない素晴らしいものを誰にも気づかれずに手に入れている優越感にひたっていたけど、やはり破滅の日は訪れる。視聴率というよりもスポンサーが販売しているオモチャの売り上げが振るわないために、番組の打ち切りが決まった。それと前後して、クオリティを担保していたキャラクターデザイナーが病に倒れ、絵が信じられないような乱れかたをしていく…。スポンサーやテレビ局、広告代理店の欲望や保身を欺いて、我を通し走り抜いてきた制作者たちがどんどん疲弊していくのである。

が、彼らの意図とはかけ離れた内容になるかと思えば、元から構築してある物語の盛り上がりは決してスポイルされなかった。我々もそのクオリティのズレは“脳内補完”という、選ばれし者にのみ宿る超能力を駆使して、制作者たちの目指したであろう真の姿をそれぞれの心の中で結像させていた。

「あいつは俺だ! アムロ・レイ14歳は、俺そのものなんだよ!」中2の樋口真嗣の選民意識と承認欲求を満たし、創作の道へと(多分)進ませた、アニメ作品の金字塔!【『機動戦士ガンダム』テレビ編】_2
第32話よりホワイトベース

制作者たちは作品を、映像以外の要素、とりわけセリフ、音楽、効果音のサウンド面のみで相当の完成度に持ち込んでいて、当時の追体験装置として活躍したカセットテープに音声だけ録音して何度も聴いて反芻するだけで充分に楽しめただけでなく、追体験を重ねるごとに欠落している映像に勝手な補正がかかっていくのです。この時期の鍛錬が、のちに作る側に回ってずいぶん役に立っているような気がしますが、多分思い込みだけでしょう。

ご多分に洩れず、『ガンダム』は本放送終了後もなお人気が衰えることを知らず、雑誌等のアンケートでも高いランクに入り、そうすると今度はそこにゼニの匂いビジネスチャンスを見出した大人たちが掌を返します。あれだけ制作者たちの…いや、楽しみにしてきた俺たちの邪魔をしてきたのに!

レコード会社は劇中で使用した音楽をくまなく網羅したレコードを何枚も出して、オーケストラで新規録音した交響組曲をも発売、オモチャ会社が設定通りのフォルムをした精緻な模型玩具のラインナップを発表し、映画会社は劇場版3部作をぶち上げます。