1979年14歳の春に突如現れたあのアニメ
今でこそ知らぬものはいないあの作品が、実は日陰に咲いた花だった…って事例は、幼いころからそのへんに転がってた。視聴率が振るわないのは内容に問題があるからだと、スポンサーのオモチャ会社やテレビ局が介入し、物語の改変や放送期間の短縮が横行、ヘタすりゃ打ち切りにだってなる。“会社にいる大人たち”に番組をズタズタにされる、理不尽な世の中の仕組みに、子供ながら悶々としたものだ。
あとになって作品の評価が上がり、理解を示さなかった世間が追いついて今さらのように騒ぎ出す。そんなときに付和雷同する大衆を冷ややかな視線で見下すようになった。連中があのとき時面白がっていればという、忸怩たる感情が、心の最底辺で沈殿し腐乱し異臭を放っていたのだ。
「俺たちは誰よりも先にいいものを見出してきた。センスとんがってるんじゃねえの?」と慢心し、消費しかできやしないのに、その消費を自己表現と勘違いする。ただ見ているだけのくせして、俺たちが素晴らしい作品を世に送り出したんだという歪んだ選民意識を育て、根拠のない自信とそれが周囲から認められぬがゆえに自我が肥大化…すなわち承認欲求の塊となっていたわけですよ、14歳の春に!
そんなとき、自我増幅装置、すなわち巨大ロボットに乗って人類同士の戦争に飛びこむような番組が突然始まったんです。しかも主人公は自分とタメ歳、技術系の親父の仕事の都合で荒涼とした開拓地で周囲から孤立して過ごしているという境遇も一緒。あのとき俺は確信していたんだよ、戦場で取り残され泣いている赤子を見て涙を流しながら叫ぶ菊千代※の如く得心して。
※黒澤明監督『七人の侍』で、三船敏郎が演じた主人公
「あいつは俺だ! 今やっている番組の主人公、アムロ・レイ14歳は、俺そのものなんだよ!」
というわけで、今回はテーマの1982年を3年さかのぼっています。書いている本人が一番わかっています。どうかしていたんですが、なんせ14歳、中2真っ盛りですから、温かい目で見守ってやってほしいもんです。