「安倍さんを殺した動機が宗教がらみの
恨みだったというのは、衝撃だったんですよね」

――今だけではないのかもしれませんが、やはり日本は宗教の存在が希薄ですよね。そこに統一教会問題が急浮上して、これまでなかったほど宗教について議論されたように思います。

私自身は宗教による制約がない国に生まれて、ラッキーだと思うことがあります。
ずっとアフリカに住んでイスラム文化研究をやってきた友人に話を聞くと、たとえそこに強烈な信仰心があったとしても、国をあげての宗教によって食べるものまで制限される状況はとても不自由だなと。

でも日本のように、無宗教を名乗る人が多い状況が、果たして人間としてもっとも無理がないことなのかどうかについては疑問もあります。単純に宗教があった方がいいということに直結するわけではないんですけど、信じる経典がない状況って、善悪の判断がいわゆる世間体みたいなものに縛られやすいですよね。

ヨーロッパにしろアメリカにしろ、若い人たちは日本と同じくらい宗教に対して無関心だとは思うんですけど、聖書を開くとそこには一応、“悪とは何か、善とは何か”という価値基準が示されています。それと比べると、日本の道徳ってすごく曖昧です。
一時期、マイケル・サンデルの講座とか流行ったけれど、もちろん私も含めてなんですが、何が正義か?みたいなことを考えずに生きてきた人が多いのかなと思います。

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「宗教の不在というのはある意味厳しいことなのかもしれない」

――宗教によって価値基準や判断基準が示されていた方が、人は生きやすいのでしょうか。

旧統一教会のようなものにすがった人たちは不運かもしれないけど、私自身、宗教の不在というのはある意味厳しいことなのかもしれないと思うことがあります。
日本にも宗教にすがりたい人がたくさんいる状況が、旧統一教会問題の根底にあったのかもしれないですね。

――海外の、特にキリスト教圏だと、善きサマリア人のたとえのようなものが潜在的に根付いていて、周りの人に対して親切にする人が多かったりしますよね。

キリスト教圏の人は施しの文化というか、チャリティ精神がすごくあります。汚い格好をした、いわゆる“物乞い”の人が空き缶を差し出して近寄ってくると、日本では『怖い』と思って避ける人が多いけど、イギリスやフランスとかだと、みんな普通にお金をあげますから。

――安倍元首相暗殺事件は、日本では稀に見る事件でしたが、宗教的規範がしっかりしているはずの欧米やほかの国の方で凶悪事件が多いのは、考えてみると不思議ですよね。

そうなんです。アメリカ人なんて、それこそキリスト教の隣人愛精神に包まれた親切でいい人が多いのに、一方で怖い事件も頻発しますよね。対する日本人は、宗教による精神的な縛りがないのに、なぜかそんな事件は起こりにくい。

いろんな要素があって難しいですけど、ひとつには、ぶつかり合って人を殺したくなるほど強烈な信仰や正義、それに人の分断がないということでしょうね。
学生のときに世界史を勉強していて、中世の世界では宗教のような抽象的なものを動機に人が人を殺すんだと驚きましたけど、今の世界においてもあまり変わりはありません。世界では信仰の違いで殺し合いに発展することがあります。
でも、日本ではそういうことは考えにくい。だからこそ、安倍さんを殺した動機が宗教がらみの恨みだったというのは、大変な衝撃だったんです。

――旧統一教会問題はこの後、どこらへんに着地すると予測していますか?

旧統一教会は、母国ではほとんど財閥みたいなものになっていて、日本以外ではそんなに悪いことをしてないから、純粋に日本の問題なんですよね。
そして日本って、与党に公明党がいるような状況ですから、フランスのように強烈なカルト取り締まりができるかっていうと、なかなか難しいと思います。直接的な被害者が救済されるのはいいことですが、これによって抜本的に何かが変わるようなことはなく、ふわっと終わるというのが現実的じゃないかと思っています。