♯5 高校バスケ界を震撼させた「2人の天才」田臥勇太と畑山陽一。全国タイトル総なめが“必須事項”も「3年間で一番、負ける気がしなかった」
「帰れ!」監督がマネージャーに激怒
マネージャーの西條佑治は狼狽していた。
思い当たる節はないのに、監督の加藤三彦に怒鳴られたからだった。
1997年10月の大阪国体初戦。能代工単独チームとして出場した秋田は、千葉に97-64と快勝してインターハイに続く2冠へ向けて好スタートを切った。だが試合後、西條は会場の外にいる監督にスケジュールの確認をすると、いきなり怒声を浴びたのだ。
「帰れ!」
西條と、すぐ後ろにいたメンバーに戦慄が走る。ホテルに着き、ロビーで再び「お前は秋田に帰れ!」と突き放された西條は、ひたすら「わりぃっす!」と頭を下げながら、心の中で「悪いことしたかな?」と反芻した。
うなだれるマネージャーに、部長の安保敏明が救いの手を差し伸べる。
「大会中は選手を必要以上に刺激したくないんだよ、三彦先生は。でも、チームの気は引き締めたい。次の相手がどこか、わかっているのか?」
あ! 西條は合点がいった。次戦は沖縄だ。北谷高校の監督でもある安里幸男率いるこのチームは打倒・能代工に燃えている。事実、95年の福島国体初戦では苦杯をなめさせられており、誰もが難敵と位置付けていた。
監督は「浮ついた気持ちになったらやられるぞ」と暗に伝えていたのであり、マネージャーの西條がチームを代表して加藤から喝を入れられたのだと、選手たちも察していた。それはキャプテン・畑山の「西條、わりぃ!」という真っ直ぐな謝罪が何よりも表している。
安里の「能代工対策」は実に奔放で、明快だった。オフェンスは選手の勢いに身を委ね、ディフェンスでは点取り屋の田臥勇太にボールが渡らないよう、ポイントガードの畑山を徹底的に潰すだけだった。
だが、そんな相手にこそ、能代工は冷静に試合を運ぶ。センターの小嶋信哉が不敵に笑う。
「どのチームも、うちの速いリズムに合わせたくないんで、いかに動きをスローにするかって対策をしてくることはわかってました。だからこそ、自分たちのバスケを貫くというか『100点取られても110点取って勝つ』くらいに考えていたんです」
結果は、田臥が8本の3ポイントを含む50得点と大暴れし、102-70と沖縄を圧倒した。
試合後、西條が前回と同じように加藤を訪れると、会話はたったひと言で終了した。
「あとは全部、お前に任せるから」
安堵すると同時に、西條は自分の選択が間違いでなかったことを再確認していた。
「やっぱり、三彦先生の近くにいて正解だ」