誰も健全な業界を作れなかった

宇野 ただ、残念ながらここまで配慮して、先回りして、丁寧に議論を進めたレジーさんの意図はおそらく半分ぐらいしか伝わっていない。僕の周りでも、この本を「文化系によるビジネスパーソン批判の決定版が出版されて、溜飲が下がった、よくやった」という他虐ポルノ的な見方で読んでいる人を何人も見かけました。文化系的な自意識を振りかざすなら、本一冊くらいもっと丁寧に読む努力が必要じゃないかと思うのだけれど……。

レジー あるいは「この著者はファスト教養を叩いているだけ」みたいな感想もやっぱり多いですね。どちらでもない場所から考えなきゃいけない、というのが自分のメッセージなのですが。

宇野 でもこうした反応そのものに、レジーさんがこの本で指摘した日本の近代知の性質がそのまま表れているとも言えます。レジーさんは謙虚だからそこまで強い口調では書いていないけれど、この本にはそういうシビアな認識が通底している。

レジー お話を伺っていて、期せずしてものすごく大きなテーマに手をつけてしまっていたんだというのに改めて気がついて背筋が寒くなっています(笑)。最初に「ファスト教養」という言葉を使った記事を出した際には、シンプルに「ファストなコンテンツ」の受容のされ方についての話が中心でした。本を執筆していく中で自分の問題意識を深掘りしていくうちに、結局は社会そのものの話になってしまったというか。

宇野 ただ、僕は年齢的にもキャリア的にも「ファスト教養」や「いじめマーケティング」本がはびこるこの出版業界を他人事として、安全圏から批判すればいい立場にはいないな、と思ったんです。言い換えれば僕はもう本当にナイフを突きつけられたような気分になったんですよ。

僕もこのような不毛な言論状況の進行を止められなかったひとりなのは間違いない。「業界が悪い」と他人事で済ませるのではなく、自分のできることを考えていかなきゃいけないと強く思いました。

この10年くらい、手っ取り早く数字や業界受けが欲しくて、誰かを貶めてアテンションを集めて延命しようとする人たちから遠ざかっていったんです。誰にも告げずにその人のSNSをミュートとして、こちらからは決して連絡しないようにした。

ただ、今の僕は少し考え方が変わっていて、彼らがこうした卑しい仕事に手を染めなくても、ちゃんと食べていけて、そして「無教養なあいつらをバカにする」のではなく自分が書きたいことを書いて新しい教養をつくっていけるような仕事を提案して実現していくようなアプローチが、難しいけれどいちばんいいんじゃないかと思うようになってきました。

「ファスト教養」本を書いてしまうような人たちや、「いじめマーケティング」に手を染めてしまう人たちを叩くんじゃなくて、そっと遠ざかる。その上でタイミングを見て彼らに「一緒に面白いことをやろう」と改めて提案する。それしかないんじゃないかなと。

正直最近は「40代も半ばに差し掛かってきたし、書き手としての時間を大事にしようかな」とか「編集は若い人たちに任せて、半分引退しよう」とか考えていたけど、実はこの本を読んで、ここで引き下がっていちゃダメだなと改めて思ったんです。

結局、僕たちは健全な業界を作れなかったわけです。たとえば本格的に長い論考が読めて、まともな原稿料が出るようなWebサイトがもっとあれば全然状況は違ったはず。けれど、既存の出版社も僕らみたいなインディペンデント系もそうした場を作れなかった。

もっと言えば、出版社にせよ著者にせよ、本来はもっと経済的、時間的な余裕がないと本なんかまともに作れないわけですよね。だから、メディアをやっている人間として、やっぱり知的なものを楽しむ読者層をしっかり育てる責任がある。そういう問題意識が明確になったのも、レジーさんの本のおかげです。