6年の病気療養を経て、歌手として復帰
――ライブも控えたまさにピークの頃に病気が発覚したそうですね。何か兆候はあったんですか?
10代の頃は、ホイットニー・ヒューストンも歌えるし、マライア・キャリーのキーが高い曲も歌えるし、何を歌ってもかっこいいなっていう時期だったんですね。それで東京に出て来て、20代に入ってからどんどん歌がへたってくるようになって。なんだろう、なんだろうって言ってたら、病気だったんです。生理は重いし排卵痛もひどい、生理になる前の感覚の重さもすごくて、1か月の間で普通の日が1週間もない感じ。常にどこか不調だっていうのが始まりでしたね。
いよいよ病気がやばいってわかったのが、97年、お台場で4万7000人のステージに出る半年前だったんです。卵巣嚢腫、子宮腺筋症、子宮内膜症、子宮筋腫があって、ピークで悪かったのが2010年末。先生に、このまま腹腔内の炎症を何度も繰り返してたら死んじゃうかもしれないって言われて、当時の夫が、「それはダメだ」って。「治ったらまた戻ればいいんだから」って説教されて、2010年11月から完全に休みました。
――6年の病気療養を経て、歌手として復帰したきっかけは何だったんですか?
2回目の手術で子宮全摘をしたんですけど、体の中はつながってるから、声を出そうにも力が入らなくて。歌い手としては引退だなって覚悟をしてました。でもそんな時に吉川(晃司)さんが、レコーディングスタジオに呼んでくれたんですよ。全然歌ってないから無理だって言ったら、「お前はさびない女だから大丈夫だよ。いいから来なさい」って。
それで歌ってみたら、ちょっと鳴ったんですね。前みたいにガツンとは出ないけど、いい響きが出て、一発OKで。「自分のことは自分がいちばんわからないもんだよ。お前の魅力はお前が決めるんじゃないんだから。早く帰ってきなさいよ」って言われて。
そこからですね、歌ってもいいのかもしれないって思い始めたのは。身体面のトレーナーもポジティブな人で、ないものを元に戻すのは無理だから、あるものを活かして、長生き奏法できるボーカリストのスーパーボディを作ろうって言ってくれたんです。
お腹の空洞を支えるための腹斜筋をつけたりして、そういうところがようやく2年ぐらい前から全部、整って。2019年の『MUSIC MUSCLE TOUR』ぐらいから、自分が描いた通りに体が歌ってくれるようになったんです。ここまで体の全部を使えるのは、生まれて初めてかもしれないですね。