結果よりも大事にしてきたこと

4歳の時、彼女はフィギュアスケートに出会った。

「自分の中では一歩目を滑れた時、その感触が良かったのは覚えています」
 
宮原そう言って、原点を振り返っている。

「でも、初めて滑った時より、貸し靴ではなく自分の靴を最初に履いた時にワクワクしていましたね。言葉で言い表すのは難しいんですが、小さくジャンプする、気持ちが弾む感じで。たしか水色の衣装で、“自分がスケートしている!”というのがすごく楽しくて。(両親に対して)『貸し靴じゃ嫌だから買って』ってせがんだらしいんですけど(笑)。あまり記憶にないんですが、一度滑ってから、すぐに欲しかったみたいです」

彼女はその日から滑ることを、ずっと大事にしてきた。

「最初は、“こんなに滑れるんだ”っていうのが単純に嬉しくて。そして“できるようになったんだよ”というのを誰かに見せたくて。ずっと滑っていたのかなって思いますね。他にも習い事はしましたが、スケートみたいに“これ”って思ったことはなくて。スケートを始めて経験したワクワク感の強さは特別で、ほかの何にも負けませんでした」

宮原は、誰よりも練習をする選手になっていった。まるで「氷上の住人」のようにリンクで長い時間を過ごした。その代償というべきか、2017年には左股関節疲労骨折を経験している。結果、しばらくは練習量を強制的に制限しなければならないほどだった。

「試合では緊張があって、練習の時のように滑れない」

宮原はしばしばその悩みを語っているが、完璧に仕上げても満足できない、ある種の強迫観念があるのだろう。生真面目で律儀な性格で論理的思考が身についているせいか、そうやって自身を必要以上に追い込んでしまうところもあったのかもしれない。

試合はどうやって割り算で答えを探しても、余りが出てしまうもので、たいていの人がどこかで折り合いをつけるが、彼女は”手を抜く”ことができず、それが緊張にもつながった。

ただ、割り切れないまでトレーニングに打ち込んできたおかげで、競技者として「ノーミスの女王」と呼ばれ、表現者の域に辿り着いた。

「自分の場合、“試合でこの選手に負けたくない”“結果を出したい”よりも、“こういう演技したい”、“これだけやってきたことをしっかり本番でも伸び伸びできたら”と思って演技した方が、自分らしい滑りができていると感じるので。競争心よりもスケートに対する『好き』って本当の気持ちを出したほうが、自分らしく滑れると思います」

彼女はそう自己分析していた。一皮むけば、スケートに夢中になった少女のままだった。

しかし、そのスケート人生は成熟し、太い芯が通っている。江戸時代に厳しく躾けられた上級武士の娘のように、自分を律した言動が目を引く。可憐な容姿の裏に、高潔なる気骨が見える。自らの迷いを払拭するほどまで肉体を鍛え上げられる一途さが、彼女の演技をたおやかにした。

――宮原知子の自伝を出版するとして、タイトルを二文字でつけるなら?
好奇心で訊いた質問の答えは、彼女らしかった。