麦くんだって、『ゴールデンカムイ』が無料公開されてたら読むかも

レジー:コロナ禍での変化でいうと、僕は仕事がほぼ在宅勤務になり、読書する時間の捻出が一気に難しくなりました。いままでは電車で本を読むことが多かったんですが、生活と仕事の切れ目が曖昧になったことで、そこにどうやって読書の時間を差し込めばいいかが難しくて。

三宅:レジーさんはお子さんが3人いらっしゃるそうですが、とくにお子さんのいるご家庭では、家でゆっくり読書っていうのはなかなか難しそうですよね。

レジー:全員寝てから読もうかなと思うんですが、その時間になると大体もう疲れ果てているので(笑)。

三宅:いや、そうですよね。その中でもなんとか読書をしたり、新しいコンテンツを追うのって大変じゃないですか?

レジー:僕はやっぱりもともとコンテンツを追いかけるのが好きなので、ある程度は無意識にやっちゃえるというのは正直あるんですけど、自然に追いかけられるレベルを無理に超えようとしないことは意識してますね。

たとえば音楽についてなにか書くとなると、新譜はひと通り日常的に聴いていないといけないとか、音楽だけじゃなくてその周辺、それこそNetflixの新作も押さえておかないといけない、と無限に広がっていってしまう。それを本当に全部追いかけようとしたら精神的にも破綻してしまうと思うので、無理しないというのは大事だなと。

三宅:新しいものを追うことが義務のようになってくると、どんどんつらくなっていきますよね。

レジー:本当にそうなんですよ。うちは7歳の娘と4歳の双子の娘がいるのですが、3年ほど前、双子が保育園に行き始めた頃から「あ、これ無理だな」って感じることが増えてきまして。僕はもう、「スキマ時間をうまく調整して、そこに予定を入れていこう」みたいなライフハックは全部嘘だって思ってます(笑)。無理なものは無理なんですよ。スキマ時間はスキマ時間で休まないと、体にもくる。

三宅:本1冊、漫画1冊も読めないときって、めちゃくちゃ疲れてるときですもんね。仕事や生活にも、当然ですが波があるじゃないですか。私、それこそ『はな恋』の麦くんも、『ゴールデンカムイ』(野田サトル、集英社)は、ジャンプ+で無料公開されたタイミングでまた続きを読んだんじゃないのかな? と思うんですよ。一度読むのをやめた漫画も、久しぶりに読んだらおもしろいな、と感じる未来って容易に想像できる。

そういうふうに、仕事や育児がすこし落ち着いて時間ができたときに、あ、久々に読もうかなって手を伸ばせるくらいのものが文化じゃないかと思うんですよね。だから忙しいときは無理になんでもかんでも触れようとせず、あまり敬遠しすぎずに「時間ができたらあの積ん読も読もうかな」くらいの距離でいるのが大事なのかなと思います。

レジー:僕は1981年生まれなので、1994年生まれの三宅さんよりはすこし上の世代なんですが、人生のサイクルの中で文化から離れてしまうことがあっても、またどこかで距離が近くなるタイミングもあるよ、というのは生きざまとして伝えたいと強く思ってるんです。

結婚して子どもが生まれたら趣味を全部捨てなきゃいけないなんてことは絶対にないし、いまはオンラインで楽しめるイベントも増えているので。たしかに1、2年のスパンで見れば好きなものから遠ざかってしまうこともあるかもしれないけれど、10年単位で見れば、そこに戻りたい気持ちがあれば何らかの形で絶対にまた楽しみ方を見つけられますから。

自分が新しいものを追うのが難しい時期に、もしかしたら「あのコンテンツ、みんな盛り上がってるのにまだ見られてないな」と自己嫌悪に陥ったり、周りの人からなにか言われることもあるかもしれないけれど、あんまり気にする必要ないよと思います。

無理のない範囲でやれることをやろうとしていると、その範囲の中で自分に響くものが届いてきたりもするんですよ。たとえば子どもと一緒に見てるとプリキュアってけっこうおもしろいんだなって気づいたりもするし、そのフェーズでしか入ってこないものって絶対にあると思うので。

三宅:本当にそうですよね。新卒1年目で『人生の勝算』を読んでもいいじゃないかって思います。そういうのが必要な時期もあるじゃんって。みんな厳しすぎる。

レジー:それくらい軽い気持ちでいたほうがいいですよね。ただ、それにしても『人生の勝算』はチョイスとしてどうなの?っていう話は『ファスト教養』でも触れているのですが(笑)。

三宅:私はいまのネット文化の空気って、ワナビー的な人に対してちょっと厳しすぎるんじゃないかと思うんです(笑)。たとえば麦くんのような趣味でイラストを描いているキャラクターに対して、プロになれないならやっていても意味がない、というような感想を見て。

いまはpixivのようにネットで作品を発表する場はたくさんあるから、無駄なんてこと全然ないのに。『ファスト教養』の中でも書かれていたように、それも自己責任論のひとつだと思うんですが、若い人に「ワナビーはだめ」なんて思わせてしまうのは問題ですよね。

感想や批評に関しても、ちゃんとしたことを言わなきゃいけないとか、推しているコンテンツは全部追ってこそ一人前だ、みたいな空気があるのは息苦しいなと思います。

レジー:SNSによってそれを全部やっている人が可視化されてしまうことも大きいですよね。本当はもっと、自分なりの楽しみ方を見つけていったほうがいい。

それこそさっきの話で言うと、数年前までよく言われていた「会社なんか辞めちまえ」みたいな極端な意見があり、その極端さの副作用みたいなものも多くの人が感じるようになって、じゃあこれからはどうしよう、というフェーズが今ですよね。

こういうとき、「結局バランスやモラルが大事だよね」っていう意見は、大切だけれどすごくつまらないんですよ。そのつまらなさに耐えられなくなって、また違う過激さがいずれ出てくると思います。

だからここは踏ん張って、一見退屈で凡庸そうな意見でも、ちゃんとバランスが大事だって言い続けることがいま必要とされているんじゃないかと思います。それを言い続けてこなかったツケがいま回ってきていると思うので。

三宅:そうですね。ネットはどうしても過激な意見のほうが広がりやすいから、そちらにばかり人が寄っていってしまうのもわかるけれど、それでもなんとか耐えてほしい。

レジー:「結局どっちだよ?」みたいなことが言われがちな時代なので、「いや、どっちでもないよ」ってちゃんと言い続けたいですよね。

(取材/構成:生湯葉シホ)

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