それもそのはず。田澤は自身の状態を「正直、最悪でした」と話す。

「1週間前に感染性胃腸炎になって、レース中もどこでお腹が痛くなるのかなって、そういう頭になっちゃっていました」

その不安は的中し、レース終盤に腹痛に見舞われたが、なんとか耐えてタスキをつないだ。

駒大の大八木弘明監督も、盤石なオーダーを組みながらも「田澤が一番心配だった」と、レース後に明かした。

「本当はアンカー(6区)を任せる予定でしたが、距離が短いほうがいいだろうと、田澤には2区か3区を提案しました。本人が『3区に行きます』と言ってくれたので、3区に起用しました」(大八木監督)

最長区間の6区10.2kmに対して3区は8.5kmと少しだけ短い。両区間とも重要な区間であることに変わりはないが、次期エースの鈴木芽吹(3年)が長期の故障から復帰し起用の目処が立ったこともあって、田澤は3区に回った。

「日本人選手に負けないと思っていたんですけど、体調が悪くなった時点でちょっとやばいなと思いました。でも、それで逃げちゃダメだって思ったので3区を志願しました。ぎりぎり日本人トップを獲れたので、役割を果たせたことはよかったなと思いますけどね」

チームは、出雲、全日本、箱根の学生三大駅伝で三冠を目指しており、出雲でひとつ目を獲れたこともあって、田澤はひとまず胸を撫で下ろした。