『ゆきゆきて、神軍』靖国神社での幻のシーン

坂本 映画でもうひとつ驚いたのは、終戦を迎えた後、実は部下を銃殺した事実があったのではないかと、かつての上官たちに会い行って、詰問するシーンです。「貴様、ニューギニアで仲間の処刑に加担しただろ! その肉を食っただろ!」と。時に暴力も振るったりして、家族の人から「もうやめてください」と懇願されるシーンなどは、よく撮ったものだと思いました。中には、申し訳なさそうに戦時の犯罪を認めた人もいて。皆さん、心の中で引きずったまま、生きていたのでしょうね。

「8月15日に靖国神社で花束からドスを抜いて…」奥崎謙三が構想していた『ゆきゆきて、神軍』幻のシーン_3
坂本敏夫/作家、元刑務官。1947年、熊本県生まれ。父と祖父も刑務官で、刑務所や拘置所の近くにある官舎で育ち、自らも19歳で刑務官に。1967年、大阪刑務所の看守を最初に神戸刑務所・大阪刑務所係長を務めた。法務本省事務官、東京拘置所課長などを経て、1994年、広島拘置所総務部長を最後に退職

 そうだったのだと思います。

坂本 でも皆さん、あんまりいいところには住んでなかったですね。

 ニューギニア戦線で生き残ったのは、同部隊約1300人中、わずか100名ほどと聞いていますが、皆、帰っても住む家がないというので、その多くは養子に行っているんです。養子に行くということは、長男じゃない……そもそも長男じゃないから戦地に送られるんでしょうけど。

でも1300人の中で生き残った100人ですから、基本的には生命力が強かった人たちですよね。そういう人たちが生き抜いて、戦争や、事件のことを何も言わずに生きて死んでいく。『神軍』は、奥崎さんがその扉をこじ開けいく話ですから、基本的には切ないストーリーだと思うんです。

坂本 奥崎さんは、人生の大半をそれにかけたわけですから、切ないですよね。しかも20年以上も刑務所に入って。

 ただ、奥崎さんは最初、元兵士たちを訪ねるというアクションには、ほとんど興味を持たなかったんです。もっと世間を騒がすようなことをしたかったと。

坂本 そうなんですか。

 奥崎さんは次から次へと、色々なアイデアを出してくるんです。提案されたプランに対して、いつも僕はイエスともノーとも言わなかったんですけど、ひとつだけ撮ってもいいかなと思ったシーンがあって。それは、8月15日に靖国神社に慰霊に行くというものでした。

でっかい花束を買って、その中にドスを仕込んでおいて、靖国神社の一番奥の宮でドスを抜き出して斬りかかるんだと。それを聞いて僕は、高倉健のヤクザ映画みたいでいいなと思ったんです。

それで、すぐに靖国神社の周りをロケハンしました。なぜロケハンしたかというと、奥崎さんにピッタリくっついて撮影していたら、当然私も逮捕されますよね。だから、その様子を客観的に高いところからもう一台のカメラで記録しておく必要があると思って、その場所を探したんです。

坂本 で、どうなったんですか。

 結果から言うと、靖国神社の周りには高い場所がなくて撮れなかったんです。そんな感じで、奥崎さんに撮ってほしいといわれたことを全部撮っていれば、また別の面白い映画にはなったんだろうと思いますけど、奥崎さんのやろうとすることは全部、犯罪ですからね(苦笑)。

文部大臣の車に自分の車をぶつけると言い出したこともあった。もしも僕が「いいですね」と言ったら、すぐにやる人ですからね。でも、そんなことしたらすぐに逮捕されて、また主人公が居なくなっちゃうので映画にならない。そういうところは利口なのかバカなのか分からねえやと思いますけどね(笑)。