YouTubeも「小説」
鴻池 「大説」=「文学」っていう捉え方ですかね。「小説」はそれよりも、もっとカジュアルな何か?
松波 そうです。自分の考えとしては、「文学」みたいな硬く凝り固まっているものを、優しく取り込んでくれるような包容力のあるものが、「小説」だと思っています。分かりやすく言うと、「文学」はガチガチ、「小説」はゆるゆる。
情報伝達の手段が文字しかなかった時代に成立したから、一般的に文字で書かれたものこそが「小説」ということになっています。けれど、実はそんなことはなくて。例えば今のYouTubeとかの映像表現も、自分は「小説」だと思っています。
鴻池 YouTubeも「小説」なのか! おもしろ! 松波さんは小説を書きながら、「文学」を意識されていないということですか?
松波 意識してないですね。元々、私は下地が「小説」なんですよ。
鴻池 じゃあ、出版社の商品としての「純文学」という括りについては、どのようにお考えですか?
松波 そうですね。広大な「小説」という場所があって、それを 1 個 1 個、色々なジャンルで埋めていった。SF、エンタメ、ミステリなど。周りから埋めていったときに、真ん中にたまたま余っちゃった空洞。この空洞をじゃあ出版社として、分類しないといけない。
これを「純文学」って呼んでいる感じはあって。全部のジャンルからはみ出た、あぶれちゃったものが集合している空洞なんです。だからこそ、純文学の定義は難しいんですよ。みんな、空洞の説明に困るわけで。
鴻池 なるほど! 松波さんの作品がまさにそうですよね。ジャンルレスっていうか。「松波太郎」というジャンルでしかない。