純文学とは何か?
松波 親父は団塊の世代で、学生運動をしていたそうです。4つの大学に行っているんですけど、毛沢東の原文を読みたいってことで、東京外国語大学に入り直して…。結局最後は医者になったんだけど。医者がいないような地方に行って、地域医療をしていました。ドクターコトーみたいに。
鴻池 なるほど。だから方言の強いところにばかり連れて行かれるわけだ。
松波 なかなか漫画とかも買ってもらえなかったし。DRAGON BALLのアニメも家では流してくれないから、友達の家で録画してもらってそれを見に行くんですよね。漫画のDRAGON BALLに、どうしても欲しい巻があったんですよ。親父に「この巻だけは欲しい!」と土下座しました。
そしたら「もう一生私は親に何かを買ってと言いません」という誓約書を書かされて、ようやく買ってもらいました。DRAGON BALL一球より一巻を得る方が自分にとっては大変でしたね(笑)。テレビもあまりつけなかったんです。だから、ある意味、言葉に飢えていたのかもしれませんね。
鴻池 僕は芸能事務所でバイトしていた時に小説家としてデビューしました。すると職場の人たちから「どういう小説書いてるの?」ってよく聞かれたんです。みんなが思っている小説って、ミステリーとかホラーとか、いわゆる「エンタメ」じゃないですか。
そういう人たちに、純文学ってどう説明すりゃいいんだろうなって考えるわけですよ。でも、上手くまとまらない。で、僕以外の純文学作家が、それを説明したら、何て言うんだろうなって、すごく興味があったんですよね。松波さんだったら、独自の、ユニークな、ご自分なりの考えがあるんだろうなと、以前から思ってたんですよ。
松波 ハードル上げてくるなあ(笑)。私は 「文学」についてはよく分かってないんです。というのも、「小説」というものに関心があって。たぶん親父の影響で、中国的な「小説」の捉え方をしているんです。
中国では、四書五経っていう、インテリ、知識階級の人しか読めないような文献を指して「大説」と呼んでいた。それに対して、スラングとか、噂話とか、市井の人たちでやり合う言葉を「小説」と呼んでいた。だから「文学」っていうのは、自分の中では少し「小説」とはズレるんですね。