安倍総理の「原則」が生んだすれ違い

北朝鮮側には苦い教訓があった。2002年に日本側に提示した「8人死亡」とする死亡診断書など、各種の「証拠」が杜撰極まりないことが露呈したことだ。

13歳で拉致された横田めぐみさん「死亡」通告の衝撃も相まって、日本社会では北朝鮮への怒りが最高潮に達してしまい、「日朝平壌宣言」の合意から日朝国交正常化交渉へ向かおうという気運は、一気にしぼんでしまった。

北朝鮮側にすれば、再び失敗すれば、もはや国交正常化交渉などで合意できるはずがない。さらに、日本側の担当者は失敗しても左遷されるだけで済むが、北朝鮮では関係者本人の生命とその家族の運命がかかっている。これは北朝鮮外交(内政もそうだが)全般の特徴でもある。

したがって報告書は、周到に準備されただろう。北朝鮮は日本側に秋には中間報告を提出するとしていた。それが延び延びになったのは、失敗を許されない北朝鮮側の事情にあったと私は理解している。

北朝鮮が政府認定拉致被害者の田中実さん生存を伝達してくるには、金正恩第一書記の決裁も必要だったはずだ。それだけの意味を持つ「報告」を無視したのは、明らかに日本政府のミスである。

ストックホルム合意をきっかけに北朝鮮側が設立した特別調査委員会は、最高指導機関の国防委員会から権限を付与され、実質的には国家安全保衛部が指導する組織だった。金正恩委員長の直属組織だったと見ていい。

日本の代表団(伊原純一アジア大洋州局長)が平壌を訪れ、北朝鮮の特別調査委員会と協議したのは、2014年10月28日、29日だった。日本側が田中実さん生存情報を伝達されたのは、2014年秋が最初だから、北朝鮮側は日本政府がどう対応してくるか、大いに注目していただろう。

日本側は、拉致問題が最重要課題であること、すべての拉致被害者の安全確保及び即時帰国、拉致に関する真相究明並びに拉致実行犯の引き渡しを強調した。ここから大きなすれ違いがはじまった。

ストックホルム合意では、「1945年前後に北朝鮮域内で死亡した日本人の遺骨及び墓地、残留日本人、いわゆる日本人配偶者、拉致被害者及び行方不明者を含む全ての日本人に関する調査」を同時並行的に進めるとされていたのに、日本側が拉致問題を前面に押し出したからである。

さらに北朝鮮の特別調査委員会が拉致被害者をふくむ「全ての日本人」についての報告書を提出しようとしても、日本政府は受け取って検証する道を取らなかった。政府が認定した拉致被害者の問題が、すべてだからだ。

なかでも横田めぐみさん、田口八重子さん、有本恵子さんなどの生存につながる情報がなければ、前へ進もうとはしなかった。これが安倍総理の原則だった。明らかに拉致被害者に序列があったといわざるをえない。