差別と戦ってきた女子テニス選手たち
2018年の全米オープンでの出来事は、テニス界におけるルール適用の男女差という問題を可視化させた点で、試合結果以上に重要な意味を持っていた。それは、WTAが、性差別的な扱いを受けたというウィリアムズの主張を支持する声明を出したことからも明らかだった。
そもそも女子テニス協会(WTA)の創設自体が、この二重基準の問題に端を発していた。
1968年、テニス界はプロ選手、アマチュア選手を問わず参加できる「オープンテニス」の時代に入り、4大大会に賞金制度が導入されたが、男女の賞金格差や女子選手向けの試合が少ないことなどが問題となっていた。
こうした不平等に声を上げ、1970年に女子だけのトーナメントを開催した米豪女子選手9人──「オリジナル・ナイン」と呼ばれる──が、1973年に結成したのがWTAだった。
WTAは2021年12月にも、中国の女子選手が前副首相から性的関係を強要されたことを告発して安否不明となった際、香港を含む中国でのすべての主催大会の中止を発表するなど、女子選手の権利擁護の立場を明確にしている。
ウィリアムズは試合後の記者会見でも二重基準の問題に触れ、「私は女性のために闘い続けるし、女性が平等に扱われるように闘い続けます。[……]私には無理でも、次の人には良い結果となるかもしれないからです」と述べ、次世代の女子選手のために性差別に声を上げ続ける強い意志を示した。
そして、表彰式で世代の異なる2人の「黒人女性」が互いを称えあい、女王ウィリアムズが新女王の大坂を支える姿は、「白人主流のスポーツ」における人種マイノリティの女性の連帯を感じさせるものでもあった。