大便を漏らしてしまった体験を本に書いて以来、いろんな人から「じつは私も……」とこっそり告白されるようになった。
道行く人たちはみんな、「大便や小便を漏らすなんてありえません」という顔をしている。しかし、本当のところはどうなのだろうと、かねがね思っていた。
やっぱり、けっこうたくさんいるんだなあと、ほっとした。告白してくれた人たちとは不思議な心の絆が生まれる。“漏らすかなしみ”を知っている仲間だ。かなしみは人と人をつなぐ。
それなのに、なぜみんな、こんなに隠すのだろう。もっとみんなで「わたしも」「おれも」と言い合えたらいいのに。
そう思っていたとき、星野源さんのエッセイを読んでびっくりした。
『そして生活はつづく』(文春文庫)の中の「はらいたはつづく」というエッセイだ。
私でさえ、漏らした体験を書くのはすごく抵抗があった。それなのに、あの星野源さんが「あなたは、自分の便がついてるパンツを洗うときの切なさを知っているか」と書いてくれているのだ。
星野源さんは、シンガーソングライターとして5大ドームツアーを大成功させ、俳優として映画やドラマを大ヒットさせ、大人気の女優さんと結婚するという、中学生の妄想のようなことをすべてかなえている人だ。
漏らしたときに、「あの星野源だって……」と思えることは、どれほど多くの人の救いになることか。
もう1冊、紹介したいのは、『一年一組せんせいあのね』(理論社)。
タイトル通り、小学一年生の詩が集めてある。これがなんともいいのだ。
ある女の子の詩の一部を引用してみよう。
「おんがくかい」かわもと かずこ
こんめいうまのうたをうたってるとき
しっこがしたくなった
せんせいにいおうとおもったけど
ぎょうさんおかあさんがみてるから
いわれへん
ふたつめの
おおきなふるどけいのうたを
うたっとったら
とうとう しっこがちびてもうた
くつまでぬれてしもうた
(中略)
もう うたわれんようになった
かずこはうたわんかった
だれもみえんようになってしもうた
おわりまでうたわんと
じっと たっとった
なんたる、せつなさ……。「だれもみえんようになってしもうた」ところまで読むと、いつも泣いてしまう。漏らすことは、お笑いでも、恥でもない。生きるかなしみだ。
人前で漏らして以来、私は心のどこかにずっと、もやもやした晴れないものがあったのだが、この詩を読んで涙し、その一部だけでも成仏してくれたような気がしたものだ。