家族が背中を押してくれたグラビア挑戦

竹中さんは、父親の最期には間に合わなかったが、話す機会はあったという。

「父が最後にくれた言葉が『知華が一番のべっぴんさんじゃ』という言葉。親バカだなと思いながらも、尾道での撮影はその言葉を思い出し、『ちゃんと写ってるかな』と、父を想う瞬間が何度かありました」

父親は竹中さんがアナウンサーになるために就職留年した時も応援してくれたという。

「父は造船所の多い呉市で船の部品を造る仕事をしていました。ゴツゴツした手をしていましたが、小さい頃はよく手を繋いでいろんな所に連れて行ってくれました。

私が大学生になり、アナウンサー志望だと伝えた時も『頑張りんさい、夢があるのは良いことじゃけぇ。応援するけぇ』と背中を押してくれました。いつも静かに味方でいてくれる、そんな存在でした」

グラビア撮影の様子
グラビア撮影の様子

かつて青森やNHK沖縄放送局でニュースを読んでいた時は、「録画したものを何度も繰り返し見てくれていた」とか。

「実家に電話をした時は『仕事がんばりんさいね』とよく言っていました。けどラジオ沖縄に入ってからは、スマホを持たない父には番組を聴く機会がなかったようです。

父が亡くなってから、母はradikoで番組を聴いてくれるようになりました。番組内で週刊プレイボーイさんからグラビアのご依頼が来て悩んでいるという話もしていたので、掲載された時にはすぐに買ってくれ、電話で『綺麗じゃったよ』と言ってくれました」

また、竹中さんの姉も「デジタル写真集を買ってくれて、LINEで『綺麗じゃったよ』と連絡をくれました。家族が応援してくれるのはありがたいです」と笑う。

「母は週プレさんからカレンダーブックが出ることを知った時も『買い方がわからんけぇ、叔父の分と私の分を送ってぇね』と変わらず応援してくれました。父は私のグラビアを見ていませんが、きっと『この子はこういうこともやりたかったんじゃね』と見守ってくれていたと思います」