右も左もライバルだらけ
――芸能界へ入った頃のお話から教えてください。
中川愛海(以下、同) 高校1年生の時、クラスメイトが大学進学の話をしている中で、“早く仕事をしたい”っていう気持ちが強かったんです。当時関西に住んでいたんですが、仕事をするなら手っ取り早いのは東京に行くことかなって。
母が昔、芸能をやりたかった人だったので、“オーディションに受かったら東京に行かせてくれるかな”っていう気持ちがあり、たまたまパッと目についた雑誌のオーディションを受け、事務所に所属したんです。
その後、事務所がミスマガジンの候補者に出してくれたんですが、20人くらいまで絞られて、どんどん人数が減っていって、最終的に『ミス週刊少年マガジン』に選ばれました。
――ミスマガに選ばれた時は、どのようなお気持ちでしたか?
単純に嬉しかったです。でも、父親が芸能界に反対していて。“一年で帰ってこい”って言われていたので、“それなら一年で結果を出さなきゃ”っていう気持ちはずっとありました。
当時のマネージャーさんが元ADさんで、現場をすごく理解している人だったんです。挨拶はもちろん、“ハテナと思ったことは持ち帰らず質問する”“現場で何か形を残して帰る”って教えていただきました。
――当時は小池栄子さんやMEGUMIさんなど、グラビア全盛期でしたね。
思った以上にライバルが多い世界なんだなっていう衝撃はありました。右を見ても左を見てもライバル、みたいな感じで。事務所も特に厳しくて、毎日送り迎えがあって、寮生活だったんです。
“芸能界に友達を作っちゃダメ”とも言われていましたね。撮影現場では、マネージャーさんに携帯を預けることもあって、他のタレントさんと連絡先交換できないようになっていたので、そのルールを私はクソ真面目に守ってました(笑)。
携帯がなくてソワソワしたこともあったけど、“これが芸能界なんだ”って思い込んでたんですよね。16〜19歳って遊びたい年頃じゃないですか。だけど、厳しかったおかげで悪い道に行かなかったので、当時の事務所の社長には感謝しています。
――「想像していたものとは違う」と感じる部分もありましたか?
思ったよりお給料安いんだ、って(笑)。芸能人ってめちゃくちゃお金持ちなイメージがあったので、そこはびっくりしました。
当時は飛行機はビジネスクラス、新幹線はグリーン車、楽屋は一人一部屋で。最初のミスマガだったからか、グラビアにもとても予算がかけられていて、サイパン、ニューカレドニアなど海外で撮影だったので、周りからはすごく羨ましがられていました。
だから、“芸能界ってすごい!”って思うじゃないですか。でも、初めてのお給料日をむかえて、あれっ?て。意外と現実的な金額でした。













