「売れるほど苦しくなった」WANDS時代に抱えていた違和感
筆者は10年前、上杉がデビュー25周年のときにもインタビューしたことがあった。
そのときに上杉が「僕にとってWANDSはアイドル時代。“やらされている感”があった」と語っていたのが印象的だった。
「中学の頃は世の中が不良全盛期で僕も髪型をリーゼントにしてたんですけど、その頃にロックに出会って、不良グループには入らずにロックやパンク好きの仲間とつるんでいました。
中学を卒業して専門学校に行って、ガソリンスタンドでアルバイトしていたんですけど、GUNS N' ROSES(ガンズ・アンド・ローゼズ)のアクセル・ローズに憧れて歌手になろうと思ったのがオーディションを受けたきっかけ。
ビーイング(音楽事務所/現・B ZONE)のオーディションに合格してロックバンドでデビューできることになったんですけど……。
でも、どうやら僕がやりたいような路線じゃないという噂は周囲から耳に入って来ていて、悪い予感はあったんです。ロックといってもいろいろあるしな、って」
当時の上杉は洋楽ならガンズ、国内のバンドならLOUDNESS(ラウドネス)のようなハードロックが好きだったが、フタを開けると上杉の目には、WANDSは自身が望んでいたハードロックではなく、ポップ路線のデジタル系ロックに映った。
「デビュー曲となった『寂しさは秋の色』のデモテープを聴いたときは、やっぱりそうだったんだ、こういう路線なんだっていう。
納得はできなかったですけど、こんな音楽ならやらねぇよと突っぱねることもできませんでした。まだ19歳の子どもだったんでね」
その後、中山美穂さんとWANDSがコラボした1992年10月リリースの『世界中の誰よりきっと』が累計200万枚超の大ヒットとなり、その影響もあり3か月前の7月にリリースしていた3枚目のシングル『もっと強く抱きしめたなら』も大ヒット。一気にスターダムを駆け上がった。
しかし、やはり上杉の心境は複雑だったそうだ。
「WANDSの評価が高まれば高まるほど、世の中に誤解され続けている感覚があって辛かった。
自分のやりたい音楽じゃないのに、“WANDS・上杉昇の音楽”としてどんどん浸透していくじゃないですか。本当は違うんだと言いたかったが、言えない。
そもそもロッカーって自分の好きなことをやってるぜっていうイメージでしょ。自分の好きな音楽をやるのがロックなのに、僕はWANDSで、本来の姿じゃない自分を“表”に出し続けているっていう苦しさがずっとあったんです。
WANDSとして売れていくほど“違うんだよ”っていう気持ちが蓄積されて高まっていく。
WANDSの路線が確立されて評価が高まるほど、このままだとちょっと取り返しがつかなくなるかもしれないって感覚もあって、それがどんどん焦りにもなっていくし……」













