「襟足の10センチが俺のロックだった」
上杉昇が育った地元は神奈川県横須賀市。現在54歳の彼が中学時代はヤンキーカルチャー全盛期だった。
「僕の通っていた中学も荒れていましたね。当時はリーゼントにしていましたが僕は不良グループには入らず、ロックやパンクが好きな仲間とつるんでいました。
19歳でWANDSとしてデビューすることになるんですけど、オーディションを受けたときはSKID ROW(スキッド・ロウ)のレイチェル・ボランのように、鼻ピアスと耳のピアスをチェーンで結んでて。
だからデビューが決まったときは、まさかそんな見た目の僕に『もっと強く抱きしめたなら』みたいなさわやかなデジタルポップ路線の曲を、事務所が歌わせるつもりだったとは思っていなかったんですけどね(苦笑)」
“鼻ピにチェーン”はさすがに当時の事務所からNGが出たそうだが、ヘアスタイルは上杉なりに抵抗していたこともあったんだとか。
「事務所から見た目のチェックというか指導みたいのは多少あったんですけど、自分なりに襟足は伸ばして伸ばして、こだわってました。その襟足の10センチが俺のロックでしたね。
それでそのまま髪を長くして、『世界が終るまでは…』の後ぐらいの時期は、GUNS N' ROSES(ガンズ・アンド・ローゼズ)のアクセル・ローズのように長髪にバンダナを巻くっていうスタイルのときもありました」
上杉は30年前となる、1996年2月にリリースした11枚目のシングル『WORST CRIME ~About a rock star who was a swindler~/Blind To My Heart』の後、WANDSを脱退。
いまだにWANDSのイメージが強いかもしれないが、彼の35年のシンガー人生において、WANDSだったのはたった5年余りである。
WANDSというトップアーティストの座を捨てることに迷いはなかったのだろうか。
「それは一切ないです。迷いや後悔はなかった。それは今も同じです。WANDS時代は自分のやりたい音楽ができず、辛い思いが積もっていたので。
ただ脱退して解放感があった一方、人気のあったバンドと大きな事務所をやめて、今度はそれまでの自分がいた、大きな商業主義的な音楽と対峙していくステージに進んでいくことになるので、大げさに言えば覚悟みたいなものもすごく持っていましたね。
WANDSをやめた後に『al.ni.co』(アルニコ/WANDSのギタリスト・柴崎浩と結成)というユニットを組んで1998年に再デビューしたんです。
その後に2002年からソロでも活動を開始して、2006年末からは『猫騙』というバンドもやってました。
そういう活動形態や音楽的なスタイルの区切り区切りでは毎回、やっぱり自分のやりたいこの音楽で勝負するぞという覚悟は持っていましたよ」













