「この世界はすべてシミュレーションで、人間はすべて“まがいもの”」という仮説
人生をゲームとして扱うという思想に関しては、それ独自の精神と、それを支える思想家がいた。
マスクがよく引用する理論のひとつに、スウェーデン人の哲学者ニック・ボストロムによる、「私たちは未来のメインフレーム上で実行されているシミュレーションのなかに生きているのかもしれない」という推測がある。
そのうえ、私たちの周りにいる多くの人々は人間ではなく、コンピュータ・プログラムかもしれない。ボストロムが「まがいものの人間たち(シャドウ・ピープル)」と呼ぶ、内面を欠いたもっともらしい模造品である。
この思想がもたらす倫理上の影響は計り知れない。もし私たちが「まがいものの人間たち」に囲まれているのなら、共感を呼びかけてくる訴えは、道徳的義務ではなくこちらを操作しようとする悪意あるコードに過ぎない。
そのため、そんな訴えに対する合理的な反応としては、人道的な感情に心を閉ざすことだ、となる。経済学者のロビン・ハンソンは、2001年の有名な論考「シミュレーションの中でどう生きるか」のなかで、そんな結論に達している。
「もしシミュレーションのなかに生きている可能性があるなら、他のすべての条件が同じである場合、他人のことはそれほど気にかけないほうがよいことになる」。
まがいものの人間という存在は、マスクのキャリアを貫く一本の明確なテーマだった。ペイパルにおいては、身分を偽る金融詐欺師たちのことを指していた。
Twitterでは、最初はボットであり、次には「幽霊社員」という突飛な概念――給与支払い名簿に載っている人々の多くは本物の人間ではないという考えを指していた。













