在来馬の活躍
梅崎 70年間途絶えていた琉球競馬をもとに戻すにはどれだけ時間がかかるか。かなり厳しいかもしれません。
その一方で、沖縄の場合、在来馬は生き残ったんです。相馬野馬追に関しては、文化は続いているけれども、出ている馬たちはサラブレッドが主で、在来馬ではありませんよね。もともと野馬追を実践していた馬たちはもうこの世にいない。種が途切れているので。
星野 在来馬でやれていたのは江戸時代、それこそ相馬藩があった時代までです。明治政府の方針で、質のよい軍馬を量産するために馬匹去勢法(明治34年[1901年])が出され、在来馬は駆逐されてしまったので。その代わり、農耕に使われていた、ペルシュロンなどのいわゆるばん馬が主体になって野馬追をやっていた時期が昭和30年代まで続きました。
梅崎 やはり馬匹去勢法が出されたのが大きいですね。沖縄に適用されたのはだいぶ遅れて大正6年(1917年)で、もちろん影響は甚大でしたし、その後には馬たちも軍役に駆り出されて斃れてゆくのですが、離島が多かったこともあって、かろうじて在来馬が残りました。ですから、ンマハラシーの伝統は途絶えても、復活させるための資源=琉球馬はあったんです。戦前は宮古馬中心でしたが、いまは与那国馬が活躍しているので、厳密に昔と同じではないのですが。
星野 絶滅の危惧もあった与那国馬が沖縄じゅうにひろがって、その子孫たちが年に一回競いにンマハラシーに集まるのは、大河ドラマっぽいところがあって感動しました。
ただ、あの馬体の小ささでは、大人が出場するのはなかなか難しいかなぁ。ンマハラシーの出場条件は沖縄県内の牧場の馬であることなので、在来馬以外も出られるけれど、大人が乗る馬は大きくなきゃ無理です。つまり在来馬でやろうとすると、子どもの大会になっちゃう。それが現実です。または、みんな武豊騎手みたいな体形になるか。そこが、今後琉球競馬が定着するかどうかの課題だと思いました。
梅崎 『馬の惑星』でお書きになっていたモンゴルのナーダムの草競馬も子どもたちが騎乗するんですよね。
星野 ナーダムは走行距離が長いので、馬に負担をかけないようにしているんです。馬の年齢によって距離が決められていて、一番長いレースが30キロ。その距離をモンゴル馬が全速力で走る場合、乗せられるのは子どもだけなんです。
30キロというのはもともと、モンゴル帝国がジャムチという駅伝制を作った時に決めた距離でした。当時の馬が人を乗せて全速力で走って死なない距離。そこまで走ったら別の馬に乗り換えて、最初の馬は休ませて、回復したらまた別の誰かが乗る。要は現代のカーシェアリングのようなことをやっていたんですね。
駅伝制はイスラム帝国もペルシャも持っていたけど、みんな距離がちがいます。どこも、統治者が「うちの馬は何キロまで走れるから」と経験によって決めているから。本当にその土地の馬のことを知り尽くしていないとできません。














