「補聴器をつけても改善できないタイプの難聴」
坂上未優さんが「聴こえない」ことを自覚したのは、小学3年生のときだ。学校で行なわれる聴力検査で引っかかり、大学病院を紹介された。「当時はまだ、健常者の半分くらいは聴こえていたと思います」と振り返る彼女の左耳は、現在ほぼ聴力を失っている。
純音聴力検査の結果は、オージオグラムというどの程度聴こえているかわかるグラフで表す。一般的に、平均的聴力とされるのは25dB(デジベル)以内。つまり、25dB以上の音であれば耳がキャッチすることができる。
オージオグラムによれば、坂上さんの現在の左耳は90dB程度。これは、騒々しい工場のなかや地下鉄の車内と同程度以上の音量がなければ聴こえず、重度難聴に分類される。
聴こえづらさを感じ始めた小学生の頃は、友だちから「さっき呼んだのに行っちゃうんだもん」と指摘されたり、気がつけば先生に大声で「坂上さん!」と呼び止められたりするなど、明らかな異変があった。結局、大学病院で難聴であることは突き止められたが、原因はついぞわからなかった。
自らの性格を「たぶん見栄っ張りなんだと思います」と笑う坂上さんは、小学生時代、同級生の誰にも耳の聴こえづらさを告げなかった。むしろ元気に明るく、なんでもないかのように振る舞うことで、不安な気持ちを抑えていたという。
転機となったのは中学校に入学してからだ。しばらくは合唱コンクールの指揮者を務めるなど順風満帆だったが、中学1年生の秋頃に左耳が明らかに聴こえなくなった。
「何の前触れもなく、突然のことでした。それ以降、私の左耳は現在までずっとほぼ聴こえていません。病院で医師から、『補聴器をつけても改善できないタイプの難聴である』と告げられ、非常にショックを受けました。
私は小学生時代に吹奏楽部に所属してトランペットを演奏していましたし、中学生になっても指揮者を任されるなど、音楽にコミットしてきたつもりでしたが、徐々に聴力が失われていくんだと思うとやるせない気持ちになりました」(坂上未優さん、以下同)
じわじわと音のない世界へ入っていく恐怖感と、止める手立てもない無力感に坂上さんは苛まれた。それに加えて、中学生だった坂上さんを悩ませたのはひどいめまいだった。
「聴力と平衡感覚は関係しているので、突然聴力が失われたことで、常に目が回っている状態が続きました。学校に行くこともできず、肉体的にも精神的にも厳しい時間が続きました」
それでも無理をおして登校したこともあったが、教室で倒れたり、階段で落ちて軽い捻挫をしたりするなど、現実を突きつけられた。
「なんとか学校に通いたいと思ったのですが、これ以上私が倒れたりすれば学校に負担をかけてしまうと思い、一時休学することにしました」













