冷徹なイメージに反する、選手思いな一面
ただ、長時間やらせることを目的にしていたわけではない。
「お前、調子悪いんだろ、じゃあもっと打つんだったら、打ちゃあいいじゃないか。そこの(打撃)ケージを独り占めさせて打たしてる。何でできるまで時間を伸ばしてでも、やらないんだっていうのが、俺のスタイル」
「必ず優勝するんだっていう気構えだけはあった。だってこんだけ練習して優勝できなかったら、次の年から、どうやって練習すりゃあいいのかって考えちゃうじゃん。ナンボ練習したって勝てないんだっていうふうに思われると困るんでね。04年っていうのは、〝練習したらうまくなるんだ、強くなるんだ〞っていうことを意識づけるために、必死にやった年」という言葉からも、選手の改善、チームの優勝のための手段として行っていたことがわかる。
このキャンプで逃げ出さなかった荒木雅博、井端、森野将彦は落合中日における象徴的な選手に成長している。
このような手法が、ハラスメントへの意識が高まった現代野球においても通用するかは定かではない。それでも、当時の経験が彼らの基盤を形づくり、球史に残る名プレーヤーへと押し上げたことは否定できない。また、選手たちもこれだけ練習し、初年度から優勝したことにより、自信がついてさらに練習をするようになったという。
このキャンプや練習量は、落合が強制的にやらせていたイメージが強いが、選手も自らを追い込んで、レベルアップしたことがわかる。そもそも落合もノックを打ち続けたり、コーチを練習が終わるまで付き合わせたりしていることから、冷徹なイメージに反して、選手思いであったことがわかる。













