勝てる組織を維持するために

08年から09年にかけて中日は多くの選手を流失し弱体化したが、逆にいえば落合の采配とマネジメントが一層際立つ時期となった。

08年は福留の海外FA移籍の穴を埋めるために和田一浩を補強し、「完全優勝」を掲げてシーズンに挑んだ。序盤は吉見が頭角を現し、川上の離脱を埋めて完封を連発。

盤石な投手陣を背景に上位を追走したが、森野の離脱で打線が崩壊すると交流戦以降は失速。主力の五輪派遣も重なり、ついに落合政権初のBクラス転落の危機に直面した。

それでも山本昌が200勝を達成するなどベテランが奮起し、シーズン終盤の7連勝でAクラスを死守。役割の徹底によってなんとか体制を維持したが、シーズン通しての打線の弱さと先発陣の息切れは覆せなかった。

規定投球回到達者はゼロという異常事態。打線もリーグ最少得点と苦しみ、主砲ウッズは決定打を欠いた。CSでは2位阪神を突破するも、巨人の前に力尽きた。

09年にも川上、ウッズ、中村紀といった主力が退団し、大幅な戦力低下が予想された。先発を諦めさせるために開幕投手に浅尾を抜擢するなど大胆な起用でスタートするが、谷繁の離脱やブランコの不振に苦しみ、4月は負け越し。

しかし5月にブランコが適応すると打線は一変し、長打力を軸に得点力を回復させた。投手陣では吉見とチェンがともに防御率1点台でリーグを牽引し、川井雄太も開幕11連勝と大きく貢献。

岩瀬も救援の柱として安定感を保ち、浅尾がホールドで記録を打ち立てるなど、投手王国の看板を守った。「勝ちパターンの継投」と「固定された役割」を軸にシーズンを回し、交流戦後には首位争いに肉薄するまで浮上させた。

しかし、巨人との直接対決で勝ち切れなかったことが最後まで響いた。勝負どころでの3連敗や終盤の失速で、最終的に首位と12ゲーム差の2位。CSではヤクルトを退けたものの、巨人に1勝3敗と完敗した。

とはいえ、ブランコが本塁打・打点の二冠、吉見が最多勝、チェンが最優秀防御率、岩瀬が最優秀救援投手と、個々の役割が確立されたことは成果だった。

この時期の落合のマネジメントは、主力離脱や戦力低下を前提に「役割を細分化し、全員が持ち場を全うする」ことを主眼としていた。ベテランには精神的支柱としての責任を託し、若手には舞台を与え、成長を促す。戦略的な継投、守備と走塁の徹底、そして役割を与えるマネジメントが落合中日を最後まで「勝てるチーム」として機能させ続けたのである。