「三谷はいらない」
私はアナウンサーです。「言葉を扱う仕事」をしています。
けれど実際のところ、準備された原稿を読むことが中心で、自分自身のことを語る機会はそれほど多くありません。
だからこそ、いざ自分の気持ちを言葉にしようとすると、思っている以上に難しく感じることがあります。
言葉と真剣に向き合えば向き合うほど、逆にわからなくなることもあります。
一体どんな言葉を使えば、私の本当に言いたいことは伝わるのでしょうか。
脳の中身をそのまま見せられたらどんなに楽だろう、と思うことすらあります。自分の思いがうまく伝えられなかったと感じるたびに、悔しい気持ちになります。
『ひっかかりニーチェ』は、1時間半ほど収録しても実際に放送されるのはわずか15分ほど。制作スタッフが空気感や流れを大切にしながら丁寧に編集してくれているからこそ、番組として成立しているのですが、どうしてもその場で感じていた細かなニュアンスや文脈のすべてをそのままお届けすることの難しさも感じています。
だからこそ、視聴者の皆さんに伝わる印象と、私たち出演者やスタッフがその場で感じているものとの間に、ズレが生まれてしまうこともあるのかもしれません。
SNSで目にする番組への感想には厳しい言葉もあります。
「三谷は邪魔」
「三谷はいらない」
「喋るな」
もちろん、番組への率直な感想だと思います。それでも、やはり少し落ち込んでしまいます。
SNSの評価を気にし過ぎるのはよくないことであるとわかっていますが、そこに書かれている言葉のひとつひとつが視聴者の意見であることも事実です。
だから私はできるだけ受け止めながら、話すべきときと話さないときを考えて収録に向き合っています。
およそ2年前に番組がスタートする前の打ち合わせで、局アナウンサーとして出演するいっぽうで、「一人の女性・三谷紬としても出てほしい」と演出の担当者から言われました。
最初はもちろん葛藤もありました。
それでも覚悟を決めて、その役割を受け入れました。自分なりに本心をぶつけながら番組に向き合っているつもりです。
そもそも、アナウンサーは自我を出してはいけないと誰が決めたのでしょうか。なぜそう思われているのでしょうか。人間なのですから、自我がまったくない人なんていませんよね。
そして『ひっかかりニーチェ』は、その自我を出すこと自体が求められている番組でもあります。
確かに、私は人より自我が強いのかもしれません。知らないうちにそれを押し付けてしまっていることもあるのかもしれません。自我をうまくコントロールできていないことに自分自身もずっとひっかかっています。
きっとこのような葛藤も見ていただいている方には伝わっていないのかなと思います。
SNSのコメントを読むと「アナウンサーは置物だ」「話していいのは原稿を読む時だけ」そんなふうに思っている人も一定数いるようです。まるで、置き型の原稿読みロボットのように。
けれど、私は言葉に悩み、誤解されれば落ち込む人間です。だから誹謗中傷を受ければ、やはり傷つきます。ベッドの上で体育座りをして考え込んでしまうこともあります。
と、収録後に悩んでしまうこともある『ひっかかりニーチェ』なのですが、3月20日に番組初となるイベント『ひっかかりニーチェの集い〜みんなで深淵を覗く会〜』が開催されました。













