「これから寒くなったら、どうなるんだろう」
さらに、独房にはエアコンがなかった。
取調べの始まった10月は秋の気配が残っていて、エアコンがなくてもまだ我慢できたけれど、夜は次第に冷えこんできていた。
「これから寒くなったら、どうなるんだろう」
という不安が、頭の片隅にあった。
案の定、11月も半ばを過ぎるころには、足元から少しずつ寒さがしみ込でくる。間もなく足の指はかじかみ、赤く腫れあがってきた。霜焼けだ。医務回診(※1)のときに相談してみたけれど、返ってきたのは、拍子ぬけするような声だった。
「あ~、ここではみんな霜焼けになるんですよね。よく揉んで、血流をよくしてください。暖かい季節になれば、治りますよ」
そう言って差しだされたのは、血流を促すという塗り薬だった。日々深まる寒さにふるえる身にとって、職員の軽い調子の言葉は、ひどく心もとなかった。
12月に入ると、長い廊下の両端に石油ストーブが置かれた。けれど、鉄の扉にはばまれて、独房にはそのぬくもりがほとんど届かない。そもそも、廊下でさえ、ぬるい空気が漂うだけで、あまり暖まっていなかった。
暖をとるためにカイロがほしいところだけれど、カイロは中の人が購入できる物のリストに含まれていなかった。中の人ができる防寒の手段は、官物(拘置所の所有物のこと)の官服や毛布を借りて、重ねることだけだった。
官服といっても、受刑者の着る緑色の囚人服が、そのまま中の人にも貸与されるだけだ。これを着ていると、日ごろの意識も囚人になじんでゆきそうで怖かったけれど、暖房がない環境では重ね着せざるを得ず、やむなく官服を着ていた。
官物の毛布も、ざらざらしていて毛羽立ち、触ると心までちくちくしそうだったけれど、背に腹は代えられず、膝の上に重ねていた。
外で暮らしていると、寒ければエアコンを入れたり、カイロを買ったりして防寒できる。ところが独房の中では、自分で防寒する手段すら奪われる。
その結果、寒さそのものがつらいだけでなく、尊厳のあるひとりの人間として尊重されていない感覚が、さらに心を冷え冷えとさせる。この落差は、中の人にみじめな思いを抱かせる効果をもっていた。
季節がめぐり、夏になればどうなるか。もちろん、冷房など存在しない。
6月の蒸しあつい季節になって与えられたのは、廊下の両端に置かれた大きな扇風機と、ひとりひとつのうちわだけだった。
横浜プリズンの暑さ対策はそれだけだった。扇風機もうちわも、ただ熱気をかき回すだけで、独房の閉塞感を吹きとばすことはなかった。空気をざわつかせはするものの、そこに過ごす中の人を慰めることも、癒やすこともなかった。
※1 拘置所の職員が、体のことなどで相談はないかとたまに聴きに来て、簡単な処置をしたり医師につなげたりする。職員に医師資格はなく、看護師資格があるかも不明だった。













