一貫してヘテロ男性、男でしかない自分を必死に生きている

魅力のひとつは著者が一貫してヘテロ男性でしかないことだ。LGBTQ的な視点とか男女不均衡がどうとか女性だったらどうかとか、そういう気をまわさず、男でしかない自分を必死に生きている。女のこちらからすれば、四十八歳でこのまま子どもを授かる「可能性ゼロはやだな」と思える男は随分と悠長だなオイとも思うし、女性との文面のやり取りで「文章上手くなってきた気がする‼」とか言われると、四十過ぎて恋愛相手を練習台に使わないでいただきたいと思うし、女性の見た目を重視した本音などはカオと交換できるカネを用意してから言えとも思う。

でもここにあるのが男の本音で、そういう本音を持った男たちと、私は恋愛して駆け引きして仕事してセックスしてなんとか殺し合わずに共存しなきゃいけないんだよな、とも思う。作中には著者のほかに、著者の中の「おせっかいおばさん」なるペルソナも登場する。ヒゲの生えたこの自虐ツッコミおばさんがいることによって、著者の「ときめきたい」「夜のプロレスが怖い」といった、社会で円滑に生きていくためには包み隠しておいたほうがいいような本音すらも、包み隠さず描かれるのだ。

童貞ではないけれど…「俺は夜のプロレスが怖いんや」 ©️中川学/集英社
童貞ではないけれど…「俺は夜のプロレスが怖いんや」 ©️中川学/集英社

 「独り身不安だ」は街でのちょこっとラブにはいい動機だが

さて婚活の体験記である本作だが、別に成功の記録ではない。言ってみれば失敗談のようなもので、結婚式の控室でタキシードを着るようなエンディングには辿り着かずに終わる。本当に結婚がしたかったと仮定してあえて敗因と呼ぶなら、その敗因は何か。

「独り身不安だ」「可能性ゼロはやだな」「他者ともっとかかわりたい」というのは街へ出てちょこっとラブに身を投じるにはいい動機だが、生き馬の目を抜く婚活市場では、そんなもわっとした願望では自分がどこに向かっているのかもよくわからないまま常に誰かにだしぬかれ、成果を掴まずに終わるということなのかもしれない。

著者がマッチしたり連絡先を交換したりする機会にそこそこ恵まれながらパートナーを作れずにいるのは、私がひとの婚活を見て、ときめきとかどうでもいいのかと横やりを入れつつその後もずっと独身だった理由と重なる。動機も目的も散漫なのだ。