史上初の性風俗を専門にする行政書士?
フーフェスの仕掛け人の一人である髙村直。2024年12月、品川区五反田で行われたフーフェスに初めて行った際、髙村と名刺交換をした。
「ごたんだ行政書士事務所代表」──。長身で均整の取れた体躯、決してギラギラしてはいない“しょうゆ顔”で、笑顔を絶やさない人懐こさがある。雰囲気としては、どことなく元サッカー日本代表の巻誠一郎を感じさせた。しかし、この時点ではフーフェスの仕掛け人であることさえも知らなかった。
その後、風俗写真家の酒井よし彦とも親しく話していたり、さまざまな業界関係者と会話する姿を見て、髙村とは、いったいどのような人物なのか、興味を抱いた。
髙村は1982年高知県生まれ。大学入学を機に上京。そこで、五反田にある風俗案内所でアルバイトを始め、性風俗業に関わるようになったという。
「最初、キャバクラでボーイのバイトをしようと思って面接に行ったんです。ところが、その店には『学生は雇えない』と言われ、断られたんです。しかし、『そういえば、最近できた案内所でバイトを募集しているよ』と教えてくれたのが、きっかけです」
その案内所は、日景忠男が経営する案内所だった。日景は、元芸能プロダクション社長。1983年に自殺した俳優・沖雅也の養父として知られていた。単なる経営者とバイトという関係を超え、髙村は日景を“東京の父”と慕うようになった。
「前もってお断りしますが、僕は結婚していますし、ノンケです(笑)。しかし、日景には人生とは何か、愛とは何かを叩き込んでもらいました。僕にとってかけがえのない恩人です」
風俗案内所というのは、客と店舗との“パイプ役”である。普段から性風俗店の店員や風俗嬢との信頼関係を築き、その店舗のサービス内容や金額を把握する。一方で、客は、どこに行けばいいか迷って案内所に足を運ぶ。身なりなどの外見やちょっとした会話などから、予算や好みを引き出し、マッチングする店を紹介する。
髙村は21歳にして案内所の醍醐味を覚え、人間観察のプロになっていく。これも日景の教えの賜物だと胸を張る。
大学卒業後の髙村は、一時、一般企業に就職したものの、日景から別事業の共同経営を持ちかけられ、会社を設立する。バイトから経営者となった。
「2004年に日景に出会い、彼が亡くなる2015年2月までの11年間、家族ぐるみの付き合いが続きました。しかし、日景は生前、『案内所が全てではない。次のステップに踏み出せよ』と僕に言い続けていました。でも、僕にはピンと来なかった。案内所の仕事に誇りも持っていたし、他のビジネスは思いつきもしませんでした」
それが日景の死によって変わった。何かを変えなければいけない。そう思い髙村は、大学院に入学する。いわゆる、“学び直し”だった。2年間でMBA、経営学の修士号を取得する。













