「あなたは失敗作だけど、器量がいいから芸能人にでもなれば」
常に心が落ち着かない。その原因は、アイドル時代や会社員時代以外にもありそうだ。
藤田は関東地方のある都市に生まれ、幼少期に両親が離婚、母親に引き取られた。
「当時の母は精神的に安定しないところが多かったと思います。包丁を向けられたり、『一緒に死のうか』と言われて立体駐車場で車を急発進させようとする母を止めたり、『もう死ぬ』と言って母がひとりでどこかに出かけて取り残されたり……」
即座に「虐待」という言葉が脳裏に浮かぶ。だが藤田は、かぶりを振って言う。
「そのように思われるのは私にとっても不本意なんです。なぜなら、母だけのせいとは言い切れない事情があるからです」
藤田の脳裏に焼き付く、幼少期の記憶。それは、父親から殴られた母親が、伏せているという凄惨な光景だ。命の危険を感じた母親は藤田を連れて家を出た。その後、父親は愛人だった女性と結婚し、のちに子どもをもうけた。
「母とふたりで暮らしているとき、父が家族行事よりも愛人との旅行を優先させていたこと、また私が産まれたときでさえ、おそらく愛人絡みで出産に遅れてきたことなどを聞かされました」
藤田は「現在は母と非常に良好な関係なんです」とうれしそうに笑う。現在は母親の精神状態も安定し、一緒に藤田が昔から好きだという、母親が作ったケーキを食べて談笑する機会を積極的に作っていると話す。精神状態が快方に向かったのは、母親自身が再婚をしたことも関係するだろう。
「記憶が曖昧ですが、私が10代のときに母は再婚したのだと思います。当時は母とは暮らしておらず、祖父母宅に預けられていました。ある日、新しい住所と新しい苗字が母から送られてきて、母の再婚を知りました」
このとき、周囲からかけられた「可哀想」という言葉を現在でも反芻する。藤田は再婚相手との養子縁組を望んだが、3人の連れ子に十分な相続が行き渡らなくなるため、「断られた」。母の再婚は「喜ばしい」としながら、「帰る家を失ったことはショックだった」と振り返る。この頃、オーバードーズによる自殺未遂事件を起こし、入院している。
大人になり、母親から言われた言葉がある。「子どものとき、幸せじゃなくてごめんなさい」。藤田は「自分の傷が癒えるわけではないし、母も反省しているから許そうとあきらめました」と寂しそうに微笑んだ。
だが同時に、地域のひとり親に対する偏見も強い中で、「美術館に連れて行ってくれたり、文化的なことに触れさせてくれて、今の私の素地を作ってくれたんです」と母親に対する尊敬の念を強調した。
反面、父方の祖母に対してはさらに複雑な心情がうかがえた。
「言われてもっともショックだったのは、『あなたは失敗作だけど、器量がいいから芸能人にでもなれば』という一言です。医師をはじめとして社会的地位の高い親戚が多いからそのような発言があったのだと思いますが、今でもときどきフラッシュバックしてしまいます」













