クリスタルな精神性をもった曾良の登場に驚く

関口 実は『おくのほそ道』を小説にするにあたり、どういう方向性にするか、けっこう迷いました。曾良は幕府の隠密だったという話を書かれている方もいますし、あるいは今でいうBL系にするやり方もあるだろう。いや、東北を回りながら美味しいものを食べ歩く小説にしようかな、とも考えたんです。それがいちばん受けるんじゃないかと。芭蕉の句には食べ物がたくさん入っていますよね。

小澤 そうですね。美味しいものが好きだったと思います。お酒も大好きで。

関口 ですが、僕は国文学出身なので、『おくのほそ道』で芭蕉が何をしたかをきちんと書かないと、それは逃げなんじゃないかと思ってしまった。曾良の日記もあり、文献も残っているのに、それらをスルーするのはもったいないという気がして、こうしたちょっと変わった話になったんです。

小澤 それがとてもよくて、クリスタルな精神性をもった曾良の登場に、びっくりしました。明晰(めいせき)で、意識が冴え冴えとし、芭蕉のことを何もかも分かっている。新しい造形だと思いました。

関口 そもそも小説の作り方として、突出した天才よりも、天才のすごさを語ってくれる言わば凡人の視点で書いたほうが、物語が転がしやすいんです。それで曾良の視点にしたわけですが、曾良については史料がほとんど残っていないので、大部分が僕の創作です。
 ただ、曾良の日記や、芭蕉が残した言葉などから、誠実な人だというのは言われている。それから俳諧の評価が低いですよね。芭蕉の優れた十人の弟子を指す「芭蕉十哲」にも入っていません。もし、才能のある路通(ろつう)が旅の供をしていたら、どうなっていただろう。まったく別の『おくのほそ道』ができあがっていたはずだと考えると、俳諧が上手くない曾良だったというのは、非常に不思議で、面白いなあと。

──先生は曾良の句をどう感じますか?

小澤 素朴でいい句ですが、芭蕉がかなり補作したのではないかと思います。

関口 本来は芭蕉がつくったけど、曾良がつくったことにしようとか。

小澤 そういうことがあっただろうと。それだけに、関口さんの書かれた曾良が新鮮だったわけです。

関口 芭蕉から曾良に宛てた手紙を読むと、ものすごく率直に書いてますよね。あいつはダメだとか、砕けた文章で書いているので、二人はかなり打ち解けた関係だったんだろうと。それから曾良は、日記を読む限り、すごくマメな人です。あの記録性はすごいなと思って、そういうところから曾良のキャラクターをつくっていった感じです。

小澤 芭蕉についていえば、この小説では「改作」が大きな読みどころになっていますね。有名な〈古池や蛙飛こむ水のおと〉は、最初「飛ンだる」だった。それを改作して「飛こむ」になるわけですが、「飛ンだる」と「飛こむ」ではどう違うのか。関口さんが書かれている読みが深くて、目を開かれる思いがしました。

関口 ありがとうございます。必死に勉強して書いた甲斐がありました(笑)。

小澤 芭蕉は「改作」をしてまでいい句を残そうとしたわけですが、それは、俳諧を和歌に近づけるためだったと思います。定家や西行らによって育まれた和歌の古典性や伝統を、強く意識していただろうということですね。

関口 芭蕉は西行が大好きですよね。『おくのほそ道』の旅は、西行の足跡をたどるために始まった旅でもありました。

──旅は、芭蕉の俳句にとって重要な要素の一つだと思います。旅と俳句の関係について、先生はどうお考えですか。

小澤 旅というものが、「次の境地」を芭蕉に用意したところがあると思います。長く歩きながらいろいろ考え、そのうちに考えが熟成して、次のステージに行く、という感じです。とくに『おくのほそ道』を歩いたことで「かるみ」という境地に到達したわけですから、非常に重要な旅だったと言えると思います。

──関口さんはどうですか?

関口 俳諧をやっている当時の人は、芭蕉に限らず、みんな旅をしていました。みんなぶらぶらしてあちこち行っていて、移動距離でいえば、芭蕉より歩いている俳諧師はたくさんいるんだけど、旅が自分にとって重要だということを最も自覚していたのは芭蕉だったと思います。旅が自分にとっていい作用をもたらすものだと分かっていたから、魂が飛び出ていくくらい、旅に出たいと思っちゃう。そこが芭蕉の面白いところだと思います。

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