日本人の寂しさ─小さな谷の住人たち
このエレファントカーブは、個人の所得の問題を扱っている。だからこそ、これがトラ
ンプ支持層の心理分析に役立った。しかし、もう一点、注目しなければならない事柄があ
る。それは、この象の鼻の折れ曲がった小さなV字部分が、そのまま日本国なのではない
かという特殊事情だ。
日本にはイーロン・マスクやマーク・ザッカーバーグのような数兆円単位の資産家は少ない。一方で格差が広がっているとはいえ、欧米に比べると失業率、特に若年層の失業率は相対的にとても低い。非正規、低賃金、円安などのマイナス要因は数々あるが、それでも年収約200万円から700万円あたりに半分近い世帯が収まっている。
これはほぼそのままエレファントカーブのX軸75から90あたりの領域だ。
似たような経済構造、社会構造を持つ韓国と比べても、日本はやはり格差が小さい。韓国においては高所得高成長の財閥一家と、その財閥系企業に勤める人々に比して、そこからはじき出されてしまった人々との格差が大きく、それが社会不安の原因となっている。
中堅企業が少ないので、大学卒業時点で大きな企業に就職しないと人生の負け組扱いとなる。地域間格差も厳しい。そして、あまりに経済が急成長し、社会変革が激しかったので、人々の意識の改革がまったく追いついていない。
強い儒教社会なので、結婚した際の女性の負担はまだまだ大きい。それを少しでも緩和しようとすると男性たちから「自分たちには徴兵もあるのに女性を優遇しすぎている」と反発が出る。一定数の女性は、この事態に絶望し、結婚をしないか、あるいは海外への移住を考える。
日本は、これほどにドラスティックな事態には至っていない。おそらく私たちの住む国は、世界でもっともコンパクトに、この小さなV字部分に国民全体が暮らしているのだ。
ここに日本と日本人独の(トランプ支持層や欧州の極右とも異なった)寂しさの正体がある。なぜこのことを日本の経済人や政治学者たちは、もっと強く指摘しないのか不思議でならない。これが、先に指摘した日本人独特の「不満」と「いらつき」の正体だ。
批判を受けることを覚悟で書くなら、「事態はそれほど深刻ではない」。
もちろん日本社会にまったく問題がないとは露ほども思っていない。格差の問題も少しずつ広がっている。しかし現状、日本の格差問題は多くが相対的貧困、すなわち可処分所得が少ないことに由来している。
理由は複雑だろうが、確実に言えるのは賃金が安くて物価が高いということだ。失業率は低いから食ってはいけるが、他に使えるお金が少ない。
だから教育や子育てに格差が生じやすい。それでも他の先進国に比べて、日本はまだまだ暮らしやすく、何より安全で安心だ。
だから、少なくとも狭義の「経済格差」が問題の中核ではない。この点を踏まえないと、社会全体の議論がかみ合っていかない。
問題は、この小さなV字の谷の中での嫉妬や憎悪は、それ特有のゆがみを見せるという点だ。ここに日本特有の状況がある。それほど事態が深刻でないがゆえに、本人たちさえそれと気がつかない、いや、認めたがらない小さな「いらつき」が起こる。
たとえばその「いらつき」は角田光代さんの小説『対岸の彼女』で克明に描かれた、地方の女子校におけるいじめの連鎖の状況に酷似している。少し長いが引用してみよう。
ナナコとの待ち合わせはしかし以前と同じく校外で、落ち合って河原へいき、買い食いをしながら、突然生じたカースト制についてよく話したり、笑ったりしていた。
結局さ、のっぺりしすぎてるんだよ、とナナコは言っていた。何もかもがのっぺりしてる。毎日、光景、生活、成績、全部のっぺりしてるから、いらいらして、カーストみたいな理不尽な順位をつけて優位に立ったつもりにならなきゃ、みんなやっていられないんじゃないかな。この学校の生徒たちには選択権がない、だから同じ地点に立っているしかない、というのは、葵も感じていたことだった。そもそも進学校ではなく、学校自体のモットーが設立当時とかわらず未だ「良妻賢母」で、けれど結婚に夢を見られるほど女子生徒たちは前時代的でもない。しかしだからといって高校の偏差値が上昇することはなく、そもそもカリキュラム自体が他の学校とは異なり、ずいぶんのんびりしているように葵には感じられた。中学ではぎりぎり落ちこぼれずにすんだ葵は、この高校でいつも上位の成績をとっていた。けれどもしトップになったとしても、大学進学はよほどがんばらなければ難しいということを葵は理解していた。
(中略)同じ顔ぶれでつるみ続け、文句ばかり言い連ねることを覚え、何も学ばないままそこも卒業し、合コンやナンパで知り合った土地の男と結婚していく。そんな図式が、この町に住んでまだ一年と少ししかたっていない葵にも理解できた。多くの卒業生がたどった経路を、自分たちも遠からずなぞることになるとだれもがうすうす知っている。わかりすぎる未来に対して、早くも惓んでしまった空気が高校二年にてから色濃く流れはじめた。小学生のようないじめをするほど幼稚ではないが、けれど何かむしゃくしゃする、人を見下し順列をつけ優位に立ちたい。そんな気分が、どこにも出口を見つけられないまま鬱積していっているように、葵には感じられた。(文春文庫、二〇〇七年)













