朝鮮人虐殺をリアルタイムで体感するブログ
『九月、東京の路上で 1923年関東大震災 ジェノサイドの残響』(加藤直樹)の企画がスタートしたときだから、2013年9月だ。JR赤羽駅のホームで携帯が鳴った。画面を見ると旧知のヨシノリからだった。いまでは、呼び捨てにするのがはばかられる立派なとーちゃんであり、愛知・安城でライブハウス「カゼノイチ」を運営していたこともある(2023年閉店)。
しかし1990年代に出会ったとき、彼はチリチリ頭のティーンエイジャーで、元暴走族の雰囲気を色濃く残していた。その後、さまざまな交錯がありつつ、彼は東日本大震災のときに石巻で数カ月にわたるボランティア活動を行い、国会や官邸前での首都圏反原発連合(反原連)の活動やヘイトスピーチへのカウンター行動などを継続していく。
そんな彼は、2013年9月、東京・八広で毎年開催されている朝鮮人犠牲者追悼式典を撮影し、そのときの1枚を都内で開催した写真展に展示していた。そう、カメラマンでもあるのだ。
多才と言えば聞こえはいいが、ちょっと尻の落ち着かないところがあり、それはそれで好感の持てる人物である。
それはそうと、そのヨシノリからの電話はこうだった。
「木瀬さん、いまネットで話題になってるブログ知ってます? 朝鮮人虐殺をリアルタイムで体感するってやつ。あれ、本にしたらどうっすか?」
まさに書籍化を進めようとしていたところだから、ひどく驚いた。そして言った。
「ちょうど本にしようって打ち合わせしてるとこだよ」
「あ、そうなんすか。いいっすね。でも、売れないでしょうけどね」と言う。しかも、「ね」のあとにはネットスラングで言うところの「草」すなわち「www」がくっついている感じの、笑いまじりの言い方だった。だが、別にカチンとくる相手でもなく、心のなかで「そりゃそうだろ」と同意する部分もあった。が、こう強がった。
「なに、本にするのは簡単。でも、それを売れるようにするのが、こっちの仕事さ」と。
ヨシノリは、人の話を聞いてるのか聞いてないのか、「じゃ!」と言って一方的に電話を切った。
電話を切って(正確には切られて)考えた。京浜東北線の電車に乗りながら。
「そっか。本を出すのは簡単か。なるほど。で、それを売れるようにするのがおれの仕事なのか」と。
そこから、ぼくなりの試行錯誤が始まる。
まず、著者の加藤直樹さんには内容の精査をお願いした。これには、デザイナーの安藤がなかば編集者として付き合うことになる。このふたりのカンケーは古く、1980年代の脱原発運動にさかのぼる。
加藤さんは、その後、ほぼ半年にわたって国立国会図書館に日参し、資料の原典にあたりながら自身の原稿チェックに没頭することになる。
一方、ぼくと安藤は、「どうすれば売れるのか」にアタマをひねることになった。
まず、タイトルだ。
よく言われることだが、「本を売るには3つのTが重要」「タイトル案は100本ノックと同じ。101本目からがほんとうの勝負」とされる。ちなみに「3つのT」とは……
タイトル
タイミング
ターゲット
のことだ。その点で言えば、タイミングはいましかない。関東大震災から90周年の年に企画立案され、実際に刊行されるのは91年目というビミョーな年になるが、これは変えられない。
そして、ターゲットは……。
加藤さんの思いは定まっている。
「ヘイトスピーチに抗する人たちにも、ヘイトデモで掲げられる『不逞鮮人』なる言葉の真の恐ろしさが伝わっていないのではないか。2000年の石原慎太郎元都知事による『三国人発言』の問題の根幹がいまいち世間で認知されなかったように」という焦燥感のような思いから、加藤さんは本書の元となるブログに取りかかった。
2013年8月末のことで、それがヨシノリの言うように話題になっていたのだ。
しかし、大震災直後の流言蜚語によって虐殺された人びとに関しては、先人たちの労力の賜である諸資料が山のように刊行されている。そこに、新たな本を出す意義があるのか。屋上屋を架すことにならないか。誰が読んでくれるのか。













