次の世の中のことを考えていく
小島 今、ヨーロッパをはじめ世界規模で、盆栽の市場規模が急激に拡大しているんです。現在の市場規模は1兆2400億円ぐらいですが、ついこの間までは数千億円の規模だったんです。そして2030年には3兆4000億円ぐらいに到達するんじゃないかと言われています。僕はガーデニングのことは全くわからないのですが、もともとガーデン文化がヨーロッパでは浸透していたので、その人たちがどんどん盆栽に切り替わっているという背景がひとつあります。
なぜ彼らが盆栽に切り替わっているのか? それはまだわからず調べているところですが、間違いないのは、大きい盆栽が海外ではやっているということ。それはやはりガーデン文化があるからなんでしょうね。
たとえば先日もベルリンに行きましたが、向こうの盆栽屋さんを見て回ると、小さい盆栽がほぼないんです。大きい盆栽しかない。なぜかと聞いてみたら「ガーデンに置きたいから」。「僕らはガーデニング文化だから大きい木が売れるんだ、小さい木は売れないよ」みたいなことを言っていました。でもその傾向も、これから切り替わっていくと思っています。彼らが言うノーは絶対イエスになりうるので。
塚原 ニュースクールとオールドスクールの話と少し関連したところで、僕の問題意識として「工藝とアートの違いって何だろう?」ということを考えていた時期があります。その違いを明快に説明している言葉に、「工藝的造形」という概念があるのですが、ものをつくる素材へのアプローチというか、向き合いかたが違うんですね。
アートは基本的に表現が先に来る。まずコンセプトというもの、作家さんから湧き出る「私はこれを世の中に問いたい!」というコンセプトがあって、それを表現できるだけのデザインとかテクニックがあって、それに適したマテリアルを選定していく。より大きなコンセプトというものから、デザインを媒介として、マテリアルという小さなものへのプロセスをたどるのが「アート」なんです。
ところが工藝というものは全く逆で、素材から発想します。たとえばここに土がある。この土というものを、どうやって人と暮らせる形にしていこうか?という発想でアプローチするのが工藝です。
だから土との向き合いかたも、自分が望む形にするには「素材に負けるものづくり」をしないといけない。たとえば陶器を作るときも、ある程度は土の言うことを聞かないと、窯から出てきたら割れている、というようなことが起こる。
「自分はこんなものを表現したいから、土をこういう形にしてやろう」という話ではなくて、土から作る、土のなりたがっている形を土に聞きながら作っていく。ある種、「素材と形の性質が一致したものづくり」みたいなものが「工藝的造形」、すなわち工藝の美しさであるというのが、今のところの僕の結論です。
小島さんがおっしゃっていた盆栽のオールドスクール、すなわち「侘び寂び」という伝統的な価値観は、この工藝的造形に通じるのではないかと思います。自然に身を委ねて、同時に「こういう形になってほしい」という対話をしながら、ゴールはないですけれども、美しい造形を目指していくプロセスそのもの。それが工藝的造形という美。
今回、本を書かせていただいて、隈研吾さんに推薦していただいたのも、隈さんは「負ける建築」を提唱されているからです。全部が全部そうではないかもしれないですけど、「建築とは地域にある小さな素材を使って、そこから発想していく大きなもの」という考え方でものづくりをされている。それもやはり「工藝的造形」と近しいと思っているのですが、今日の小島さんのお話を聞いていて、盆栽の美の形成のされかたも、ものすごく工藝と近いと思いました。
小島 そうだと思いますよ。お話しされていたように、盆栽って「自分が理想としている形」に近づけていくんだけれども、やっぱり木は生きているので、そうはいかないときもある。たとえば気温まではつかさどることができないから、桜の木にしてみても、本当はここで開花することによってお客様に喜んでもらえる、そのつもりで頑張っていたけど咲いてくれない。
そこから1週間後に咲いた、イベントは終わっちゃった。(笑)そんなふうに言うことを聞いてくれない、生きているからこその歯がゆさもあるのですが、それがあるから面白いというか。
塚原 小島さんが木と向き合っている中で、一番学ばされたことは何ですか?
小島 「引き継ぐ」ということですかね。次の世の中のことを考えていく。自分たちのことだけだと利己。だけど次のことを考えるというのは、利他主義なのだと思っています。盆栽と出会うことで、利他の精神を知ったのかもしれません。
塚原 自分の寿命とか物質にとらわれない生き方や発想、人との接し方ができるということなんですかね。小島さんも含めて、僕がこれまでに親切にしていただいた職人さんや経営者さんって、お子さんがいる人が多いんですよ。それは何でだろう?と考えたことがあって。
お子さんがいらっしゃる方って、自分の寿命よりもお子さんの寿命のほうが長い確率が高いので、自分の寿命にとらわれず、「その先のこと」まで考えることができる。だから僕らみたいな若者に対しても、見返りを求めず接してくれるのではないかと思っているんです。














