「我那覇は自分たちのためにも闘ってくれている」

我那覇は独りぼっちではなかった。2008年、まず動いたのが、Jリーグ選手協会(JPFA)だった。

天皇杯決勝から一夜明けた1月2日、世間ではまだ松も取れていないうちから、藤田俊哉会長(名古屋グランパス=当時)は我那覇の仲裁費用を援助するための募金行動を行なうと発表する。

3日に行なわれた選手協会の記者発表では、壇上の一人、伊藤宏樹(川崎フロンターレ)が「我那覇は自分たちのためにも闘ってくれている。済まない気持ちでいっぱいだし、こんな事(募金)くらいしかできないけれど是非役立ててほしい」という内容のコメントを出した。

JPFAは仲裁そのものには中立の立場を取って一切干渉をしないが、我那覇の起こした行動を全面的に支持して、募金という形での支援をすることになったのである。これには選手会長の藤田のリーダーシップが大きかった。

藤田は当初、新聞報道でしか事件のことを知ることができず、そんな彼のもとには好むと好まざるにかかわらず、いろいろな立場の人間が電話をしてきては勝手な情報を入れていった。

「その相手を信頼しないわけではないですが、これはきちんと自分がまず事実確認を自分のルートで行なう必要があるなと考えたわけです。それを知ってから動きださないといけない。何しろドーピング問題というのは、僕たち選手にとってはものすごく重要な問題ですからね。

僕がチームドクターに電話をして聞くということではなく、選手がどういう立場に置かれて、どうしてほしいのか、それをどうサポートするのかというのが真っ先に考えたことです」

2007年末、独自に事実関係を調べながら、選手会の意見をくみ上げていった。選手会としてのスタンスは無理な介入をするということではなく、まず選手の気持ちを考えることであった。

藤田は我那覇が私財をなげうって申し立てに行くのには容易ならざるものがあるのではないか、と思っていた。そんな折、川崎フロンターレの選手会の方から、声が上がってきた。川崎のフロントは動かなかったが、選手たちは皆、この誠実なチームメイトを助けたいと思っていた。

選手会副会長の川島永嗣、特に仲の良かった都倉賢などは、CASへ行くという報道以降、自分から積極的に我那覇のところへ来ては「どうなってるの? 大丈夫?」と状況を聞いてくれた。

川島はある日、ミーティングのあとで立ち上がって言った。

「みんなも気になっていると思うけど、ガナさんのことで話があるから、少し残ってほしい」

2011年8月19日ベルギーリーグのリールセで、相手サポーターから、祖国日本のフクシマを中傷されたことで涙を流して抗議した熱い男は、このときも音頭を取って苦境にいたチームメイトのために声を上げて仕切った。

「ガナさんの今の気持ちを聞いてみよう。ガナさん、どうぞ」