手しごとには「創造の自由がある」
僕なりにたどり着いた答えが、「人の心の温かな流れと自然そのものの素晴らしさが感じられる」ことだ。最初は「手しごとの温かみ」と聞いても抽象的でよくわからなかった。むしろ、それを野暮ったいとさえ感じていたかもしれない。
例えば、左右対称ではない、どこかいびつにさえ見える焼物がその「温かみ」の象徴なのか、それなら量販店で機械的に作られる器にそうした歪みを取り入れるだけで「温かみ」は出せるのか。そんなことも考えながら、全国の産地で多くの工藝品にふれてきた。
完成されたものだけでなく、職人さんたちと向き合いながらものづくりの現場を見せていただくことで、徐々に工藝における手しごとの重要性が見えてきた。
それはいまから百年前に「民藝運動」を提唱した柳のいう通り、手しごとには「創造の自由がある」ということだ。
試みに一の字を描いてみよう。定規によるものと、自由な手によるものと、その間の美の相違について誰も疑う余地はないであろう。一つは決定の世界に終り、一つは創造の自由に活きる。後者の無限な変化に比べて、いかに前者が単調であろう。どれだけ機械が複雑であっても、人の手に示された造化の妙に匹敵することができぬ。(柳宗悦『工藝の道』1928年)
「一」の字を定規で書くと、始点と終点の間で決められた線にしかならないが、筆で書く際は始点と終点の間に無限の自由がある、と柳は考えた。手しごとにおいてはこの奥行きの中で、職人さんがものづくりの喜びを嚙み締めながら、素材と対話し、あらゆる工夫を凝らしている。













