「美しい」とは何だろう

伝統工藝の職人さんたちとしごとをしていると、やはり「美しい」とはどういうことかを繰り返し考えることになる。

いまの僕は、パッと見て技術の素晴らしさがわかりやすい超絶技巧の江戸切子や蒔絵だけでなく、かつて「野暮ったい」と思っていた民藝らしい陶器にも、同じように惹かれる。用途も形も違う対照的なモノ同士にもかかわらず、同じ気持ちで美しいと思う。

その共通点が伝統工藝であるなら、そこでの「美しい」とはどういうことかを考えた。

簡単に言語化できるものではないと思うが、いまのところ、僕が工藝品の美しさの説明として最も腑に落ちる表現は、岡倉天心の『茶の本』(1906年)にある「傑作には、人の心の温かな流れが感じられるのに対して、凡作には、ただ、形ばかりの表現しか見当たらない。現代の芸術家は、技術に溺れるあまり、滅多に自身を超えるということがないのだ」という言葉だろう(大久保喬樹訳『新訳茶の本』[角川学芸出版、2005年]より。岡倉は同書を英文で出版した)。

量販店で買える安価でお洒落な器と、伝統工藝の器の違いは何だろう。

写真はイメージです 写真/Shutterstock
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デザインの違いを挙げる人は多いだろうが、いまの時代の潮流を意識したものや、人気デザイナーとコラボレーションしたモダンな工藝品などもある。ただそれらは材料も形もデザインも前述のような大量生産品とさほど変わらないように見えて、価格は10倍以上の差がある。

お洒落なだけなら欧米のデザインや、より安価なモノが良いというお客さんも多いかもしれない。もちろん、一方が良くて他方がダメという単純な話ではない。それは、人間よりも緻密で正確な作業ができる機械が次々と開発される現代において、手しごとの価値とは何かという根本的な問いにもつながる。