“あやうさ”を持っていた彼女がニュースになるかもしれない 

中森明菜のセカンド・シングル『少女A』が世に出て注目を集めたのは、1982年7月28日のことだった。

広告業界でコピーライターとして働きながら作詞の仕事を始めた売野雅勇は、まだ駆け出しの身であったが、アンテナ感度の鋭い大瀧詠一などから注目を集めていた。

同年2月に発売された「機動戦士ガンダムⅢ」 の主題歌『めぐりあい』は、売野の才能にいち早く気づいた作曲家の井上忠夫が自分で歌って、初のヒットをもたらしてくれた。

『少女A』の歌詞を書いた売野は、「ガンダム」の歌詞も書いていた。写真は『めぐりあい/ビギニング』(2006年11月22日発売、KING RECORDS)のジャケット写真
『少女A』の歌詞を書いた売野は、「ガンダム」の歌詞も書いていた。写真は『めぐりあい/ビギニング』(2006年11月22日発売、KING RECORDS)のジャケット写真
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売野はその頃、作詞家として契約していた事務所で、スタッフから1枚のチラシを渡されてこう言われた。

ともかく目立つものを書いて下さい。前に書いた、シャネルズだって、河合夕子だって、普通じゃないですから。自分が面白がって書いたら、いい作品になると思います。

ワーナー・パイオニアが力を入れて売り出していた新人・中森明菜は16歳。売野はひとまずコンペ用に作品を書いてみることにした。

そのチラシに書いてあった「ちょっとエッチな美新人娘」というキャッチフレーズには、「美新人娘」のところに「ミルキーっこ」とルビがふってあった。美新人=「ミルーキー」というシャレだったらしいが、売野はそんなことにまったく気がつかずにいたという。

1982年の5月1日に『スローモーション』(ワーナー・パイオニア)でデビューした中森明菜。レコーディングは、ロサンゼルスで行われたという
1982年の5月1日に『スローモーション』(ワーナー・パイオニア)でデビューした中森明菜。レコーディングは、ロサンゼルスで行われたという

それよりも「ちょっとエッチ」のほうに目がいったのは、16歳の新人歌手がセクシーなムードを持っていてもいいのではないか、そう思い巡らせているうちに具体的なイメージが浮かんできたからである。

もやもやとしたものが、形を結ぼうとしていた。セクシュアルで16歳。自分の高校の頃の、まわりにいた女の子たちを想像した。同時にシノハラヨウコという、十六ではなく、浅黒い肌をした早熟な十四歳の美少女を思い出した。

「早熟」というキーワードを見つけた売野は、その美少女に誘惑された自らの体験から、“あやうさ”を持っていた彼女がニュースになるかもしれないと、可能性について考えてみた。

そして新聞の社会面では匿名で報道されると想像し、マジックインキで原稿用紙に大きく「少女A(16)」と書いた。その時点でタイトルは決まったと確信したが、なかなか歌詞を書き出せなかった。

売野は著書『砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々』のあとがきで、作詞家としての礎となったこの作品について、このように述懐している。

ストーリーのアイデアがまるで浮かばず、悶々として少女A 、少女A と原稿用紙に書き連ね、途方に暮れた。しかし、これほどまでに書けないのは、タイトルの大きさを自分で知ってるからだと思う。鉱脈の上に立っていることを無意識に感じて、緊張していたのかもしれない。
締切の二日前、もう書き出さなくては間に合わないので、これ以上考えるのはやめて、ぼくはズルをすることにした。下書き用のノートに残っていた、沢田研二さん用の「ロリータ」の設定を借りることを、苦しまぎれに思いついたのだ。

売野はその年、渡辺音楽出版のプロデューサーから、沢田研二のシングル曲に詞先で書かせてもらうというチャンスを与えられていた。そこで挑んだのが『ロリータ』という、少女愛をテーマにした歌詞だった。