「ものまね四天王」誕生からフジvs日テレ“ものまね戦争”勃発まで
ものまねブームに火がついたのは、1987年に放送された『第2回 爆笑!スターものまね王座決定戦』だ。いわゆる“ものまねブーム”とは、コロッケ、清水アキラ、栗田貫一、ビジーフォーによる「四天王」ブームのことを指す。
1973年にはじまった前身番組の『オールスターものまね王座決定戦』(フジテレビ系)は、森昌子や五木ひろしといった新人歌手が中心の“かくし芸番組”的な要素が強い企画だった。
そこに、お笑いに特化した『爆笑!スターものまね王座決定戦』(フジテレビ系)が1985年にスタートする。名物プロデューサーの木村忠寛が就任した1987年春の第2回大会でコロッケが初優勝を飾り、ここから本格的なものまねブームの火が灯る。
それまで『オールスターものまね王座決定戦』にも出演していたコロッケが、悲願の初優勝を果たして涙を流す姿は、お茶の間に強烈なインパクトを与えた(もっとも、コロッケはわりとよく泣く)。
同年秋に行なわれた第3回『爆笑!スター』では、それまで珍しく下ネタを抑え、真面目にものまねと向き合ってきた清水アキラが王座に就く。「100万円の賞金よりも『チャンピオン』の名前がほしい」と語った清水は、決勝戦でV2を狙うコロッケとの五木ひろし対決を制した。
苦節8年の下積みを経て、芸人仲間に胴上げされながら涙ぐむ清水(そしてコロッケももらい泣きする)の姿には、ものまねに賭けた情熱と大きなドラマがあった。
以降、清水アキラのテープ芸、栗田貫一の「もしも○○が××を歌ったら」シリーズなど、ものまねの見せ方を出演者・スタッフが切磋琢磨し、視聴率は30%超えを連発。漫才ブームの次に現れた新しいお笑いのジャンルとして、ものまねは一気に脚光を浴びた。
ただし、ブームは意外なほど短かかった。番組プロデューサーとの対立が発端となり、コロッケは1992年3月31日放送の『第11回 爆笑!スター』を最後に、フジテレビのものまね番組から降板(2024年10月19日放送の『とんねるずの2億4千万の大陸スペシャル』(フジテレビ系)で、実に32年ぶりの“出戻り”出演を果たした)し、『ものまねバトル』(日本テレビ系)に移籍。
これを機に、ものまね番組はフジテレビと日本テレビの二局が完全なライバル関係になっていく。















