38歳で左目の視力の喪失、そして日本一へ
「身体って命の危険を感じたときに成長すると思うんです。自分はセーフティースクワットバーでも345キロを持ち上げますが、最初は100キロもいかなかった。まさに未知の領域だった。でも『ちぎれんじゃねえか』ってぐらい“命の瀬戸際”を感じる重さに挑み続けることが、筋肥大につながると思うんです」
筋肉について熱く語る合戸さんだが、健康かボディビルか、究極の選択を迫られたことがあった。
それは1999年の全日本選手権で4位入賞を果たし、初めての世界選手権に出場したときのこと。決戦の地はスロバキア。70キロ以下級で見事4位入賞を果たした合戸さんだったが、帰国時、左目に異変を感じていた。
「左目がアナログテレビの砂嵐のように、ザ――って全く見えなくなったんですよ。当初は『疲れ目だろう』と楽観視してましたが、嫁に勧められて病院を受診したところ、医者から『眼底出血してる』と言われたんです」
厳しい減量による栄養不足や過度なトレーニングにより、合戸さんの目は危険な状態に……。出血部分を焼ききるためレーザー治療を行ない、治療中はトレーニング禁止になったが……
「レーザーを打つときにこめかみに走る『バチン! バチン!』っていう刺激がどうしても我慢できなかった。それに医者に止められてもやっぱり言いつけを無視してトレーニングしてしまうんです。それで医者から『また出血してるんですけど……』って疑いの目をかけられる。それにどうせ治療しても0.01の視力しか保てないので、『それなら治療してもしょうがない』と3日で治療を拒否して、競技続行を選びました」
左目の視力よりボディビルを選んだ合戸さん。その決断に後悔はないか聞いてみると、
「全然後悔はないですよ。だって目ならもう一つあるんで」
そうして38歳のときに全日本に挑んでから6年後の2005年、44歳にして日本一に輝いた合戸さん。2007年から2009年にかけて3連覇も果たし、ボディビルダー界の頂点に君臨したのだった。













