ひょんなことから芸能人になった桜金造

桜金造、デビュー秘話を明かしながら話す、障がい者になって思ったこと「嘆くべきなのか、生きているって喜ぶべきなのか」_1

関根勤や小堺一機など、お笑い界のレジェンドたちを排出した伝説のバラエティ番組『ぎんざNOW!』(TBS系)に素人として出演したのが芸能界のキャリアの始まりだ。

同番組で結成されたグループ「ハンダース」や、アゴ勇とのコンビ「アゴ&キンゾー」でお笑いキャリアを重ねた後、俳優としても活躍。

2007年には東京都知事選挙に出馬したこともあった。

また、稲川淳二と並ぶ「最恐の怪談師」としても、不動の地位を築いている。

杖をつき、ヘルパーの女性に歩行の介助をされながら、待ち合わせの場所に現れた桜さん。

「生きてますよ。ええ、なんとかそれなりに生きています。

1級障害者なんですよ。柔道だったら、もうすぐ初段、黒帯です。すごいですよね。黒帯に限りなく近い障害者ですから、ヘルパーさんがいないと移動ができないんです」(桜さん、以下同)

確かに動きはぎこちないが、語り口はなめらかだ。

「今日は、私の芸能デビューのきっかけを聞きたいんですよね?

1975年ですね。高校3年生、18歳のときにね、受験が近いということで、両親が腕時計を買ってくれたんですよ。

で、その腕時計をなくしてしまいましてね。しかも親父が“受験がんばれよ”と、張り切って買ってくれた、いい物だったんですよ。

これは困った…と。親父にも申し訳ないし、試験なんかで不便ですからね。代わりに目覚まし時計を持ち歩いていたんですけど、やはり不便で。

今は腕時計なんて1000円位で買えますけれども、当時は高価ですから高校生には簡単に買うことができない。

さあどうしたものかと思っていたら、当時やっていた『ぎんざNOW!』(TBS系)という番組に、『しろうとコメディアン道場』という素人参加型のコーナーがあって。そこに出るだけでね、参加賞として高級腕時計がペアでもらえる…と知ったんです。

これはいい、ということで、自分ではがきを書いて応募しました。そうしたら、ちょうど出る人があんまりいなかったようで、すんなり出ることができたんです。

私としては参加賞の腕時計をもらえたらそれで終わり、のつもりですから、まともにおもしろいこと、ネタなんか考えていなかったんですよね。

それが、私が出たときのチャンピオンのネタが、これがまたつまらなかったんです。 

どっちが面白いかじゃなくて、どっちがよりつまんないかという戦いになって、私が勝ったわけですね。

じゃあこれでいいやと思ったんですけど、一応私が勝ったから、『チャンピオンになったんだから、次も来てくれなきゃ困るよ』っていわれまして。

とはいえやっぱりあの当時、テレビに出られたのって嬉しいじゃないですか。受験生っていったって、実際はまともに勉強をしていなかったし、大学なんて親に行けって言われただけで、入れなきゃそれでいいって思ってましたから、出続けちゃったんですよね。

結果、5週連続で勝ち抜いてしまいまして。5週勝ち抜くと、その番組のレギュラーになれるっていうシステムでね。嬉しくって、ますます受験なんてどうでもよくなってしまいました」

なお、参加賞は毎回授与されたため、桜さんは合計10個の腕時計を手に入れた。