5回の自殺企図で周辺の気を引く寂しがり屋

死の前年にあたる1947(昭和22)年に発表した、短編小説『ヴィヨンの妻』のなかで、太宰治は主人公の夫である詩人・大谷に次のようにいわせた。モデルは自分自身だ。

――僕はね、キザのやうですけど、死にたくて、仕様が無いんです

太宰といえば、何度も自殺を試みた文学者として誰もが思い浮かべる存在であり、このセリフはいかにも彼らしいと感じられるかもしれない。ただし、太宰が本気で「死にたい」と思っていたのか、疑われる節もある。

太宰が死をほのめかした『ヴィヨンの妻』(新潮社/1950年)
太宰が死をほのめかした『ヴィヨンの妻』(新潮社/1950年)
すべての画像を見る

太宰の自殺の回数は、初めて自殺を試みた旧制高校のときから、玉川上水で本当に亡くなってしまう38歳までの18年間でなんと5回にも及ぶ。

そのうち3回は女性を伴った心中だった。彼はその死に損ないの経験や自殺願望を作品のネタに使ったり、周囲に吹聴して回ったりと、世の中の注意を引きつけた。世間は次第に、太宰の作品ではなく、太宰がどうくたばるかに関心を寄せるようになっていく。

いくら立派な死生観を抱いていようと、やたらに“死”を仄めかしていれば、「ただの死にたがり」と軽くあしらわれてしまうのは仕方がない。

もちろん、太宰にまったく真剣味がなかったわけではない。そもそも彼をこれだけ「自死」へと引き寄せた要因のひとつとして、芥川龍之介への傾倒が挙げられる。そして、生涯にわたって愛憎が交錯し続けた、自身の生い立ちも大きな要因であった。