円安バブルの代償は国民が払ってきた

私は、円高への転換を悲観ではなく「清算」として見る。円安バブルの果実は一部の企業と投資家に集中し、その代償を物価上昇という形で国民が払ってきた。

円が上がることは、生活コストが下がることでもある。問題は、その恩恵が賃金や地域経済に届く前に、政治が混乱して再び市場を振り回すことだ。

そうなれば、円高は一過性の反動で終わり、再び迷走の円安が繰り返される。国民が真に豊かになるには、為替ではなく政治が安定しなければならない。

だが、その安定を築く力が、どの党にも見当たらない。高市総裁が派閥の均衡に頼り、野党が理念を手放し、国民が沈黙する。この三つが揃ったとき、政治は機能不全に陥る。

私は今度の国会が、その臨界点になると思っている。政治の舞台は賑やかでも、実際に動いているのは通貨と物価と生活だけだ。数字は嘘をつかない。円は正直だ。

だからこそ、政治が虚構を積み上げた分だけ、為替は現実を突きつける。逆回転はすでに始まっている。国民不在のまま迎えるこの国会が、その最初の帳簿決算になるかもしれない。

文/木戸次郎