平成の終わりに経験したあの閉塞と混乱
逆回転は時間の問題だ。むしろ、まだ始まっていないことが不自然なくらいだ。米国金利が下がり始め、円の売り材料が剥がれ落ち、投機筋が手仕舞いに動けば、一気に円は買い戻される。
円安の裏で利益を上げてきた輸出企業は、為替差益の消滅に直面し、日経平均の押し目は深くなるだろう。円高局面では、株価の下落が政治への不信をさらに煽り、政策の手詰まり感が強まる。
政治と市場の逆回転が同時に起きれば、日本は平成の終わりに経験したあの閉塞と混乱を思い出すことになる。
民主党政権時代の悪夢。その言葉を思い出す人は多いはずだ。確かに、当時の政治は稚拙だった。外交も経済もバラバラで、為替は75円まで高騰し、企業は国内生産を諦めた。政治の未熟さが通貨と雇用を直撃した。
だが、あの時代が私たちに残した教訓は、単に「民主党が悪かった」ではない。政治が分裂し、統治の意思を失えば、どんな党が政権を取っても国は動かないという現実だ。いまの日本は、その再現に向かって歩いている。
違うのは、当時よりも財政が悪化し、人口が減り、格差が広がっているということだ。つまり、再び同じ過ちを繰り返したときのダメージは、あの比ではない。
物価高、住宅ローン、医療費、教育費、どれも限界
それでも政治は危機を危機と思わない。国会が開かれれば、各党は「国民の声を聞く」と言うだろう。だが実際には、国民の声はどこにも届かない。
物価高、住宅ローン、医療費、教育費、どれも限界に達しているのに、議論は票になる話題ばかりだ。為替や株価の変動を政権の通信簿のように扱い、表面の数字で政治の力量を測ろうとする。
だが、市場は一瞬の期待に反応しても、生活はついてこない。経済が疲弊し、社会の中層が崩れるとき、通貨は最初に悲鳴を上げる。政治が弱体化すればするほど、円は不安定になる。これは歴史の法則だ。
いま求められているのは、強いリーダーではなく、現実を直視する政治である。派閥の再編や連携の絵図ではなく、物価と賃金と社会保障を同時に見られる冷静さ。だが、その冷静さを支える体力が、いまの政治には残っていない。
権力のバランスを維持するだけで精一杯の政権と、政権奪取を目的化した野党。その対立軸のどこにも未来はない。結局のところ、政治の弱体化とは、国民のあきらめの映し鏡であり、あきらめの国では通貨も上がらない。