働き詰めの毎日、寂しかった長男が描いた絵
新天地での方向転換をした亨さん。しかし、1年ほど働いていた頃に、佳月さんが働いてた会社の社長から声をかけられ、ふたたび美容師として復帰する。
一方、佳月さんはスタイリストとして毎日を忙しく過ごしていた。そんな中、20歳を迎えた頃に、長男(葵くん)を授かり初めての出産を経験する。
「10か月でスタイリストデビューをし、55人いる同期のなかでも一番早かったです。埼玉の美容室に入社した時は着付けをできる人もお店では私だけでした。朝から晩まで働くような状況で、過酷な生活もあってどんどん痩せていきました。そんな時に長男を妊娠し、仕事も休めなかったので、ギリギリまで働いて、産後もすぐに働き、10月生まれの長男をおんぶしながら成人式の着付けをしました」
働きながらの初産。それから、長女次女と子どもが生まれるが、仕事は変わらず忙しい。しかし両親が遠方なこともあり助けを借りることはせず、二人で働きづめの毎日だったという。
「休むこともできないし、かといって頼れる人もいない。葵(長男)の時は保育料が9万円でしたが、3人生まれて保育料が22万円になりました。土日も預かってもらえる託児所となると、24時間OKのところしかなくて。3人目が生まれてから、公立の保育園へ転園しましたが、時間にお迎えに行けず、ファミリーサポートのお迎えの方を頼んでいました。
保育料でお金がどんどん出ていくので、深夜に工場で番重(運搬容器)にパンを詰める仕分けアルバイトや内職もやっていました。夜21時に出て朝帰ってくる。ほぼ寝ずにまた美容院へ行って…そんな毎日でした」
当時は雇われていたこともあり、保育園へお迎えに行くことも簡単ではなかった。夫婦で独立し、自分たちで経営した方が自分たちの考えで動けて、子育てしやすいと思い、独立に向けて動き出すことに。しかし、これまでの生活スタイルを変えることはなかなか難しかった。
「お店は火曜日と第3月曜日しか休めなかったので、時間を捻出できませんでした。20時まで受付ということもあって、夜も遅くまで働いていました。独立や、一軒家を建てることを優先して複数の不動産をまわったり、銀行に行ったりしていたので休みの日も子どもを学童に預けて開業準備に必死でした」
生活のため過酷に働きつづける日々。家族の時間を作れず、毎日に追われていた佳月さんは「その時に忘れられないことがあった」と語る。
「(長男の)葵が小学生のとき、『葵君が滑り台の上でいつも泣いている』って先生に言われたんです。そして、もともと葵は絵を描くことが好きだったんですが、学校で描く絵はいつのまにか全部真っ黒になっていました。先生から『黒い部分をお友達が消してくれても、またその上からぐちゃぐちゃに殴り描きしていましたよ』って。
その時、今のままじゃ絶対にいけないって思ったんです。私は日々の生活や忙しさに気を取られて、大事なことが見えてなかった。私、何のために働いているんだろう…って。それからは、仕事が休みで動く日も不動産や建設会社にも子どもを連れて行き、仕事をしていても子どもと一緒に過ごす時間を最優先にしました」
猛進するあまり子どもたちの変化に気づけていなかったと後悔し、自分にとって大事なものに向き合えたと当時を振り返る。「気づかせてくれた葵には本当に感謝しかないです」と明かした。
学校が休みの土日祝日も仕事をしていた佳月さんと亨さん。しかし、自分たちの職場で一緒に過ごす、そんなスタイルが求めていたものだった。仕事をしながらの育児は大変なことが多いが、それでも「幸せな空間です」と話す。













