棚橋以前と以後

最近の新日本プロレスの若い選手は、海野たちのようにグッドシェイプな選手が増えてきている。これは間違いなく僕の影響だと思っている。棚橋以前と棚橋以後で、新日本プロレスの選手の体形は実際に変わってきたのだ。

いや、体形だけじゃない。

僕が新日本プロレスでトップを張るようになってから、トップ選手になるための暗黙のルールを僕が作ってしまった部分はあると思う。

体形が格好良くて、決めゼリフと決めポーズを持っていて、かっこいい得意技やフィニッシュホールドがあって……これらの要素が揃った選手でないと、ビッグマッチを締めさせることを会社が安心して任せられなくなっているのではないか、と感じるのだ。

社長就任後、自身も日々のトレーニングで筋骨隆々とした体形をキープしている(本人SNSより)
社長就任後、自身も日々のトレーニングで筋骨隆々とした体形をキープしている(本人SNSより)

ただ、このような部分はプロレスの先輩として、また社長として若い選手に指導しにくい部分なのも事実だ。

例えば決めゼリフなんかは一緒に作ろうと考えてみるわけだけど、どうしても考えて作った言葉っていうのは、どこかハリボテになってしまいがちだ。

むしろリング上で偶発的にポロっと出た言葉こそが、ファンの心に響くものではないだろうか。

「トランキーロ」や「焦んなよ」といった内藤哲也の決めゼリフも、日本では試合ごとにブーイングされ、後輩のオカダ・カズチカに置いていかれた厳しい状況の中で、あと一歩伸び切れずにメキシコに行き、ロス・インゴベルナブレスと出会ったからこそ生まれたものだ。これは決して教えてできるようなことではない。

実際、僕の「愛してま〜す!」という決めゼリフも、感謝の思いとして静かに口にしたものから始まったものだし、「疲れたことがない」というセリフもオカダがちょうど凱旋帰国した際に、その場の掛け合いから生まれたものだ。

東京ドームで僕がIWGPヘビー級の当時の連続防衛記録であるV11を達成した時、凱旋帰国したばかりのオカダがメインイベントの後にやってきた。当時既に圧倒的なエースだった僕に、オカダは「お疲れ様でした。あなたの時代は終わりです」と言い放った。

いま思うと、オカダにとっては「あなたの時代は終わりです」がキーフレーズだったのだろう。にもかかわらず、僕が彼の言葉から拾ったのは「お疲れ様でした」というワードのほうだった。

「悪いなオカダ、俺は生まれてから疲れたことないんだ」

僕がマイクでそう返した時のオカダは一瞬、明らかに困った表情を浮かべていた。違う、そっちじゃない、と。オカダはその後、大阪での防衛戦で僕を破り、レインメーカーショックを起こし新日本プロレスの最前線を駆け抜けることとなった。