愛川ゆず季、人気グラドルの引退後

出産直後の大変な時期にも関わらず、愛くるしさは健在だった愛川。「子どもが起きちゃったらごめんなさい」と、第二子を抱きながら取材は始まった。

まずは出産直後にラッパーとしてデビューした経緯について話を聞くと、恥ずかしそうに「あれはネタなんです」と微笑んだ。

「私、特技が“身体を張ること”なんですが、妊娠中はさすがに難しくて。でも何かできることをしたい! と試行錯誤している時に『ライブ配信をしてみたら?』と声をかけていただいて。TikTokライブなんですが、やってみたらすごくいい空間を作ることができたんです。

今までで1番応援してもらっているんじゃないか? っていうくらい応援していただいてて…。でも出産前後は、配信をお休みしなければいけない。その期間に“このいい空間を繋ぐために何かしたい”と思って、それがラップでした」

《お経かよw》と突っ込まれることもあったそうだが、愛川は「妊娠中の私にしかできないことだった」と語る。そもそも彼女はなぜここまでチャレンジを続けるのだろうか?

「なんでも私にできることがあればチャレンジしたいっていう一心でした。もともと、私は頑張ることが好きなんです」

デビューしてすぐに人気グラドルの仲間入りをした彼女に、当時の話を聞くと「事務所のおかげです」と謙遜気味に答えた。

グラビアアイドル時代の愛川ゆず季(本人提供)
グラビアアイドル時代の愛川ゆず季(本人提供)
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「マネージャーさんからには常に『事務所のおかげだから、勘違いしちゃダメだよ』って言われていました(笑)。グラドルとしての目標は青年誌の表紙だったので、1か月で『週刊ヤングジャンプ』の表紙が決まって、嬉しかったんですが、反対に早々に“やりきった感”を感じていました」

人気があっても寿命は短いと言われているグラビアの世界だが、愛川は、7年間バイトもせずに、グラドル1本で食っていけていたという。

「所属していたプラチナムプロダクションには若槻千夏さんとかすごい方がたくさんいたので、バーター(抱き合わせ出演)でバラエティ番組に出させてもらったりしていました。特に目標もやめるタイミングもないまま過ごしていたら、アラサーになっていて、いつの間にか“崖っぷちアイドル”になっていました(笑)」

そんな愛川にきた仕事は、『崖っぷち〜アラビアンサイトFEVER』(TBS系)という番組の企画で“自身のブログに3か月間で2000万アクセスいかないと強制引退”というものだった。

「私に選択肢はなかったし『やってやるよ!』って強い気持ちで臨みました。炎上もあったんですが、すぐに2000万アクセスをクリアして引退は免れました。でも、もしクリアできずに引退となっても構わないという覚悟がありましたね」