必要な脳の力は、時代によって変わるもの 

記憶力の低下について心配する必要はないと僕が思う理由のひとつ。それは、時代によって、求められる能力は変化するからです。

今の時代において、記憶力の重要性は以前よりも低下していると言えるでしょう。古く人類の歴史を紐解くと、記憶力の優れた人が頭の良い人であるとみなされ、社会的に高い評価を受けることが多かったのは事実です。

その象徴的な例が、中国の「科挙」でしょう。科挙とは、隋から清の時代にかけて約1300年にわたって行われた官吏登用試験のこと。受験者は膨大な儒教の経典を暗記し、それを正確に引用し論述できることが求められたため、優れた記憶力が最も重要な能力とされていました。

日本においても、江戸時代には寺子屋教育が普及しましたが、そこで求められるのは四書五経や百人一首、いろは歌などの暗唱といった「暗記」がメインでした。文字や本しか情報媒体がない時代においては、知識を正確に記憶し伝える能力こそが教養とみなされ、社会的な評価につながったのです。

ですが、インターネット全盛の現代では、手持ちのスマホでGoogleなどの検索エンジンを使えば、知りたいことは瞬時に調べられますし、Wikipediaのようなオンライン百科事典で専門的な情報がすぐに手に入ります。SNSやYahoo!知恵袋に質問を投げかければ、世界中から回答をもらえる便利な時代です。

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そのため、人間の脳の「記憶する負担」は大きく軽減されています。その最たる例が電話番号でしょう。数十年前は多くの人が家族や友人などの電話番号を暗記していました。しかし、携帯電話の登場以来、端末に情報が記録されるようになり、友人や家族の電話番号を覚える必要がなくなっています。

むしろ現代で求められるのは、「どれだけ知識を頭に入れているか」ではなく、「必要な情報にいかに早く正確にたどり着けるか」という能力です。インターネット上に蓄積された情報量は膨大で、どんなに記憶力が良くても、すべてを覚えることは不可能です。

重要なのは、記憶する情報を増やすことよりも、むしろ余計なことを忘れ、脳をスッキリさせること。脳の負荷を減らして、本当に必要な情報やアイデアに集中できる環境を作ることが、これからの時代の新しい頭の良さになるはずです。

その点でいえば、少しずつ記憶力が衰えていくミドルシニア以降の世代にとっては、今の時代は「追い風」ともいえるのです。