戦争怪談にリアリティを求めることは難しい
実話怪談プレイヤーのクダマツヒロシが高校生だった時、同級生から聞いた話だという。
——2004年、神戸市長田区でのこと。クダマツ氏の通うI高校周辺で「深夜、旧日本軍の兵士の幽霊が出る」との噂が流れていた。それに関して、級友のM君からも過去の体験談を聞く。
当時から2、3年前。I高校近くの家に住んでいたM君は、中学生の時点で「日本兵の霊」の噂を聞き及んでいた。さっそく怪談好きの兄に質問すると「噂だけは聞いている。俺は見てないけど」との回答。
その瞬間、二人がいる居間の窓が外から叩かれた。
M君がカーテンを開けると、庭には誰の姿もない。しかし兄は悲鳴を上げて2階へ逃げてしまった。バン、バンと窓を叩く音だけが続くので、M君も居間を出ていった。
後日、兄がM君に語った話によれば、兄は窓の外に「赤い服を着た女」が立っているのが見えたので、慌てて2階へ逃げたらしい。2階の窓から見下ろすと、赤い女が庭をぐるぐる回っている。こちらに気づいた女は顔を上げ、兄に向かって次の言葉を繰り返したというのだ。
「わたしのことでしょ! わたしのことでしょ!」
クダマツ氏はこの怪談を2021年9月24日放送の『実話怪談倶楽部』(フジテレビONE)にて発表した。タイトルは「呼び水」である。その放送を視聴したカシマ研究者の青山葵が、私へ連絡してきたのである。私も青山氏も、すぐにこれがカシマ怪談の現代版であると判断した。
I高校の周辺に出るという日本兵姿の男は、噂だけで姿を見せない。その代わり、彼について語った者の前に、赤い服の女が窓越しに現れ、それは自分の話だと訴える。
「呼び水」の背景には、兵士型が駆逐され、女性型だけとなったカシマ怪談の変遷が参照されている。赤い女は、近年のカシマによくある表象であり、かつ現代怪談に広く出てくる怪異のイメージである。
私自身ここ数年来、「赤い女」を現代怪談を解釈するための一テーマとして調査し続けている。つまり「呼び水」ではカシマ怪談の変遷だけでなく、旧日本兵や戦争にまつわる怪談から、現代怪談に頻出する「赤い女」へと移行した状況が暗に示されている。「呼び水」は、メタ視点から怪談史をなぞるような、批評的構造を持つ怪談なのだ。
しかもクダマツ氏やM君たちは、カシマ怪談について一切認知していなかった。番組放送を見た我々が連絡したことで、初めてクダマツ氏はカシマの存在を知ったのである。元ネタが置き去りにされたまま、奇妙な批評的構造を露わにした怪談が語られていく。なんとも現代らしい怪談のありようではないか。
それは戦争の影を巧みに暗示するトンカラトンとも似ている。子どもたちは旧日本兵などの背景を明確に意識しないまま、トンカラトンというキャラクターに恐怖した。そして2000年代の「呼び水」は、さらに次世代の語り口となる。旧日本兵はその姿を登場させることすらなく、批評対象として存在を匂わせるのみだ。
しかし現代においてなお戦争怪談を語るには、そうした方法をとるしかないのだろう。もはや戦後80年を迎え、ニセモノの傷痍軍人すら姿を消した今、戦争怪談にリアリティを求めることは難しい。何らかの新しい切り口を模索しなくては、戦争にまつわる怪談は成立しがたいところまできてしまっている。
ただ少数とはいえ、「呼び水」のような話が生まれているのも事実なのだ。今後も様々な方法をとりながら、戦争怪談はしぶとく生き残っていくのかもしれない。そして子どもたちはそれと意識しないまま、学校で戦争怪談を語っていくのかもしれない。
文/吉田悠軌