「来る者拒まず」のマイナス作用

栄光の陰で、チームには綻びも見え始めていた。

強い情熱とリーダーシップは、時に周囲との軋轢を生んだ。指導や運営方針に異を唱えられると、「グラウンドから去れ!」などと声を荒らげた。2002年頃にはコーチら3人が袂(たもと)を分かった。

「来る者は拒まず」の姿勢も、結果としてマイナスに作用した。部員は多い時で200人を超えた。寮に入りきらず、マンションを借り上げて急場をしのいだ。

部員間にはおのずと温度差が生まれた。私生活にも目が届きにくくなった。大麻事件が起きたのも、主力以外の部員が入るマンションの一室だった。

小城さんは言う。「部が大きくなり過ぎた。部員が何人いようが、最後の一人まで面倒を見るのが指導者の責任だ。『知らなかった』では済まされない」

2008年4月に活動を再開したラグビー部は、バラバラだった。

「反省しなければ練習に進めない」。春口さんは辞任前、大麻を吸引した12人に対し、自ら名乗り出るよう求めた。誰も手を挙げなかった。12人全員が不起訴になったこともあり、誰が大麻を吸ったのか、部内であいまいなまま事件が終わった。

「『こいつが吸ったんじゃないか』とお互いに疑心暗鬼だった」
08年に主将を務めた土佐誠さんは明かす。

「誰だかわからないが、お前らのせいで将来がなくなった」
大麻吸引を疑われ、就職を取り消されたある上級生は怒りをあらわにした。

このシーズン、大学選手権は1回戦で早大に敗れた。「ようやく終わった」。土佐さんは悔しさと安堵が入り交じる複雑な思いを抱いた。同期は卒業後、一度も一堂に会していない。「集まろうと思っても集まれない。まだ事件を消化しきれていないのかもしれない」と吐露する。

春口さんは10年、部長としてラグビー部に復帰したが、チームは低迷した。12年は関東リーグ戦を7戦全敗で終え、入れ替え戦で31季ぶりに2部に降格した。

この時の主将だった現日本代表の稲垣啓太さんは、ラグビー部のブログにつづった。

〈結果を残せず後悔ばかりが残るものになってしまいました〉
〈苦い経験も自分を成長させてくれる糧として受け止め、今後の人生に生かしていこうと思います〉

13年2月には監督に復帰したが、1部昇格を果たせず、12月で解任された。大麻事件後は一度も大学選手権決勝に進んでおらず、1部と2部を行き来している。22人を輩出した日本代表も稲垣さんが最後だ。

現在も現役で活躍する稲垣主将は後に日本代表の不動のメンバーに (写真/本人Instagram)
現在も現役で活躍する稲垣主将は後に日本代表の不動のメンバーに (写真/本人Instagram)